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2006年8月11日(金)
誰もいないし〜

来てみたら図書館が休みだった。がーん。

「何でも体験記」に、短いものをUPしました。まあ、木の写真集のようなものです。

2006年8月8日(火)
引き続き採点の日々

精神保健論A体験ワークについて、レポートを全部見ました。いろいろな体験談、たいへん興味深く読ませていただきました。まんべんなく選択ありましたけど、今年の一番人気は、僅差ですが「軟蘇の法」だったですね‥。しかも、自分にとってよかったというポジティブな意見しか無かったです。結局は日本の江戸時代のイメージワークが一番手軽で確実ということで、現代に開発されたワークはやや形無し、ですね。(あ、フォーカシングの「ここちよい場所」は、わりに、良かった人が多かったようです。と、少し自画自賛。)
あと、選択した方はそう多くなかったですけど、森田療法の日記の効果は、読んでいてなるほどと思いました。

ただ、
アーユルヴェーダを選択した人のうちの、何名かが、「自分でやってみた感想」になっていません。「自分に合っていると思った」と思った、という予測では不十分で、実際にそれにしたがってやってみた感想を求めています。たとえば、食事を変えてみて、どうだったか。あるいは睡眠を変えてみてどうだったか。といったものが入っていないと、部分点になります。複数の方がそういうレポートになっているということは、私の言い方も徹底していなかったのかもしれませんが、心当たりのある方々は再提出をお勧めします。これによって落ちる人はいませんが、成績が一ランク下がる人はいるかもしれません。

あと、試験は受けているけれどレポートは提出していないという方がおられますが。レポートの提出がなければ、落ちます。待ちますので、持ってきてください。

2006年8月3日(木)
締切日です

森川研究室の扉に、私が来る以前からついていた、古臭い「居所お知らせ盤」を、私のいないときに、ドライバー持ってきて取り外しておいてくださった方。
同じく研究室の扉の窓の、シールのメモ紙がはがれなくて、見苦しい状態になっていたのを、私のいないときにそっと取り外しておいてくださった方。
どうもありがとうございます。この場を借りてお礼を申し上げます。

学部はほぼ夏休み状態になっていて、わたしたちが直接顔をあわせることは少なくなっていますね。


本日、心理学研究法Aと、精神保健論A・コミュニティ心理学Aのレポートの締め切り日でした。

心理学研究法Aについて、集計が済みましたが、4つのレポート+1つのミニテスト 併せて5つのうち、3つしかクリアしていなくてこのままでは落ちる人が3人。課題を2つしかクリアしていなくてこの落ちる人が5人います。課題1つや0個の人もいますが‥。もう少し待ちますので(締め切りに遅れたという意味で、減点はしますが)出してください。今まで3つの課題を出している人は、あと1つだけ出すと合格する可能性が高いです。森川は8月8日、8月17日には出校します。
この必修科目を落とすと来年、一学年下の人と一緒に心理テストの授業をやりなおすことになり、それはつらいものがあるでしょう。

2006年8月2日(水)
採点の日々

採点や出席の入力に追われている昨今。ウケを狙った解答(?)や人柄が出ている解答、ほほえましい解答。時に笑わせていただきながら採点していますが、もちろん点数はそれとは関係なくつけています。

  ラポーン  ‥惜しい
  ラポーレ  ‥惜しい
  パロール  ‥言語学ですね
  ポワーレ  ‥なんかおいしそう
  ポワール  ‥なつかしのパン屋
  ルフール  ‥それは誰ですか
  相思相愛 ‥気持ちはわかりますがね、専門用語で言ってください。

正解は「ラポール(もしくはラポート)」でした。

○○くんは○松くんに何度も出席の代筆頼んでちゃだめでしょ。○崎くんもですよ。わかってんですからね。なんて突っ込みながら、まだまだ続く採点の日々。

2006年7月28日(金)
夏本番

心理学、精神保健論・コミュニティ心理学、教育相談(夜間)の試験が終わりました。教育相談(夜間)については、みじかい総評を「授業」のページに書いています。やや難問があったようです。(*昼間の人とは、問題が違います。)ほかはこの週末に採点します。

7月30日の日曜日は九産大のオープンキャンパス、9:00から15:00まであります。学部受験を考えておられる方はもちろん、大学院受験希望の方もどうぞ。私は9:00から最後まで学科別相談コーナーに居ます。

2006年7月25日(火)
連絡

1
臨床心理学科または地域文化学科で、精神保健論A、コミュニティ心理学Aを履修している人に連絡です。

レポートは、授業中にも話しておりますが、体験ワークを自分ひとりで行った感想です。授業中に体験ワークを行ったことの感想ではありません。自分であとで行ってみたものだということがわかるように書いてください。そうでないと点が下がります。心当たりのある人で、良い成績をめざす人は書き直して提出することをお勧めします。
体験ワーク自体は、うまくできても、できなくてもかまいません。もともと、一人でやることはややむずかしいという人もいるでしょう。ただ、いずれにせよ、自分の体験を詳しめに観察して描写できることが精神的健康と関連すると私は信じています。


臨床心理学科の心理学研究法Aを履修している人に連絡です。YG性格検査の所見は、添削加筆したものを皆さんにお返ししています。返却の日に授業に出ていなかった人で、テストを返却してほしい人は研究室に取りに来てください。(ただし研究室では時々面接をしておりその時には張り紙をしていますので、その時間だけはご遠慮ください。)

2006年7月21日(金)
まだ梅雨は明けませんが

今学期最後の授業が終わりました。
試験へなだれこみましょう。
今日は授業している教室が少なかったせいか?、冷房がやたらききすぎて寒かったですね。

2006年7月19日(水)
無事、帰国しました
わたしは今日の補講があったので、昨日ひとりで先に帰国しました。
「パーソンセンタード」に対する頑固な思いを世界の方々と共有しました。
私のあやしげな英語は、ゆっくりたずねてもらうと通じました。
ポツダムという場所に刺激され、戦争に対するさまざまな思いが語り合われた学会でもありました。
祈らずにはおられない気持ちになり、
帰りの経由地で立ち寄ったシンガポールで、
なんでもいいからとにかく寺を探して、行った、ヒンズー教の寺院がよかった。
とてもよかった。

また、時間ができたらちゃんと書きたいと思います。
2006年7月7日(金)
一路、ポツダムへ

院生、教員含めて大人数の、民族大移動、
日曜日から出発します。PCEといいまして、カウンセリングの分野の中の、「パーソンセンタード」という立場の学会です。

ポツダム会議の場所は、宮殿で、現在も開放されているそうです。学会の合間にいってみたいと思います。

ポスター発表のみならず、エンカウンターグループ(集団での話し合い)も申し込んでいますが、どれだけ英語が通じるのか‥
春休みにあやしげな催眠、リラクゼーション(英語)のCDを買い込み、聞いたことは果たして役にたったのか‥‥。
「You are perfect.  You are hole. And you are‥」
だいぶ聞き込んだけど、そんな英語、日常会話じゃ使いませんよね〜

2006年7月4日(火)
かゆいのね

この猫は、このあと、バランスをくずして後ろにひっくり返ったそうです。その瞬間を見たかった〜
院生のAさん、写真を送ってくれてありがとう。

2006年6月29日(木)
会う人、会う人に

ここ1週間、会う人会う人にぎょっとされて、(あ。そういえば自分は髪を切ったのだ)と思い出す。
いつもと違う美容室に行って、「短くしてください」と言った。
長い長い時間が過ぎ、ずいぶん丁寧に切ってくれているなあと思っていたが、今思うと、私の反応を見ながら少しずつ短くしながら切ってくれていたのだろう。

そして、私がいつまでたっても無反応だから、彼のハサミは行き着くところまで行き着いたのだろう。
「いかがですか?」と彼。「メガネを‥」と私。
‥‥‥‥。
「ぼぼぼ僕は好きですそういう髪。」

いえ、私も嫌いじゃありません。
こんな、普通は女性がしないような髪は、公務員してた時には、禁止でしたから。
今はなんだってしていいんですから。

かくして、限りなく短髪となった私に、
ある3年生が、「デミームーアですね」と教えてくれた。
HPでデミームーアなる人を見てみると
‥あら〜、こんなに綺麗ではないですわ、
じゃなかった、そういう話じゃないか、
短髪で有名らしいこの女優よりも、もっともっと短い。
たぶん加藤登紀子より短い。

どういう心境の変化かと心配してくれた人もいたので、ここに書いておくことにしました。
要するに、成り行きでこうなりました。

2006年6月26日(月)
観察日記モード

これ買ったら手がかかるんだよなあ、と思いながら、
毎日、「安売り」と書かれて山積みにされて、良い香りがしていると‥
ついに買ってしまった。
「梅1kg」 ×2袋。

梅を干す暇はないので、手ごろなびんを探して梅を入れ、酢をぶちこんで「酢漬け」、しょうゆをぶちこんで「しょうゆ漬け」。
1kgほどは、塩漬けということで、塩150gを、雪のように振り掛け、「英和辞書」を乗せて重石にする。
それでも500g余ったので、「梅酒」。
‥にしようとすると、氷砂糖がなかったので、スーパーへ。
氷砂糖は梅の2倍の値段がした。

すごく、ありがちな展開。

一晩あけた今日。梅酒の氷砂糖は溶け出しつつあって、焼酎の中にマーブル模様ができている。その中にぷかぷかと浮かぶ梅。
塩漬けのなべを覗くと、梅から出た透明な水の中に梅が浮かんでいる。(この水、すなわち「白梅酢」が欲しくて梅漬けを作るのだ。)(もちろん、梅も食べるけど。)
家の中で、育っていくものがあるっていい感じ。

2006年6月23日(金)
で、

その授業、遠い遠い芸術学部棟に着いた段階で、プリントを忘れたことに気づき、とりに帰り、自分が10分遅刻していきました。
みんなは、もう集まっていました。
先週教室移動をアナウンスし忘れてすみませんでした。

新しい教室は、ワイヤレスマイクが故障で、マイクなしの授業‥
しかもあの教室暑いですね‥
みんなで耐えたという感じ
今日はさすがに疲れました。

なかなか忙しくて日記も更新できていませんが
授業はあと3〜4週。
真っ白な、クチナシの花が香り始め、
九産大は夏です。

2006年6月16日(金)
緊急告知

といっても、そのうち何人がここを見ているか分かりませんが、
今日、経営学部の心理学の授業で、
「来週から教室変更になる]ということをアナウンスし忘れました。
今までつかってきたN503教室は、
これから3週にわたり、ほかのところが使うそうですので、
1613教室 芸術学部1階に変更です。

芸術学部棟‥遠いですね
2,3,4限と授業が続くなか、3限に芸術学部棟に行くのは遠いです。
行きたくないなあという気持ちが、アナウンス忘れにつながったかもしれません。

現実問題として、移動時間があるので、
3限の授業は早めに切り上げざるを得ないと思います。

2006年6月10日(土)
おかげさまで、復活できました

日記を更新せず、生きているか死んでいるか分からなと思われていたでしょうが、
生きていました。
5月下旬頃から、ホームページを更新しようとしてページを転送しても、更新が行われない状態が続いておりました。
「ちょうどその頃にノートンインターネットセキュリティーをインストールしたからだろうか」と考え
いろいろとそのソフトの設定を変え、
何やってもどうにもならなかったのでソフトをアンインストールして、
そのアンインストールがなぜか失敗してパソコンがフリーズ‥
で、情報科学部の売店でパソコンを初期化してもらい、
これで大丈夫かと思ったら、
それでもホームページの更新はできず‥

万事休すと思っておりましたが、本日、学生部の会議のあと、
芸術学部の佐野先生をお引止めして、無理を申しまして見ていただきましたところ、
先生に、外科のように「これは要る」「これは要らない」「ここがおかしい」と手術していただき、
このように復旧のはこびとなりました。
佐野先生ありがとうございました。土曜日に申し訳ございませんでした。

授業のページを更新すると言っておきながら、そうできず、ここ半月、学生の皆さんにご迷惑おかけしたことも、お詫びいたします。


佐野先生といえば有名なHPをお持ちで、内容はもちろんすごいのですが、
それ以外に私が「なかなか、できそうでできないこと」をしてらっしゃると思うのは、「佐野研究室のライブビデオ」で、ある一定の時間おきに、研究室の先生の様子を撮影して配信しておられることです。
これは、ちゃんとした方でないとできないことだと思います。
たとえば、私のように、弁当を食べお菓子を食べお菓子を食べパソコンゲームをし、少し仕事をしてるかなと思ったらお菓子を食べ‥、‥などという生活態度では、決してできないことです。
今日、お話をお伺いして、お忙しさに、ため息がでました。

2006年5月31日(水)
なかなかちょうど良いものは、無いものですね

Notonウイルス対策ソフトを、以前から使っていて、
最近、
いままでよりもランクを上げ、「インターネットセキュリティー」にした。

すると、他から送ってくるメールを、今までよりもシビアにカットするようだ。
削除されるメールの場合、受信中の受信欄に、パッと(ほんとに一瞬)、メアドとタイトルが出て、すぐに消える。
一瞬なので、うっかり見損ねたら終わりだ。
運良く目が追いついて削除の瞬間を見ることができたとして、「あっ、その人からのメール、要るのに‥」と思っても、 跡形もなく、「削除済みメール」フォルダにも残っていない。
それだけシビアなら、心から信頼できるかというと、心理的にはそうではない。
ある携帯からのメールが今日は削除されて、翌日は届いたりするのを見ると、ほんとうに削除すべきものを削除しているのか?と言いたくなる。

一方で、明らかに迷惑メールなものが、削除されていない。

思うに、「届いてますが危険そうですよ」、という表示が出て、
開封するしないは、こちらに選択をゆだねるようにはしてくれないものだろうか。
(「アンタ、それが自分でできるようだったら世話ないでしょ?素人なんだから‥」と言われるのかな)

2006年5月27日(土)
ベジタリアンになってから‥?

身長が1.4cm伸びました

2006年5月26日(金)
なんかもう

忙しくて更新できていませんが、引き続き生きています。
来週から、さらに一つ授業が増え‥
病気でこれなくなった非常勤の先生の変わりに、
普段自分が教えている内容とは異なる授業するということ自体は、常勤である以上、仕方ない立場ですが、
金曜日「2、3、4、6限」という授業枠は、自分の体力の限度を超えていると思います。
「2、3、4限」にそれぞれ違う授業をするという、この部分をはっきり言って、こなせないと思います。
中2日はほしいところを中1日で登板するピッチャーのような。
「ピッチャー、鹿取」みたいな。(←古すぎて、学生の皆さんはわからないと思いますが)

このような中では、授業でフォーカシングの教示を読んだり、教職の授業で皆がカウンセリング実習をやっている時間は癒されます。

2006年5月19日(金)
一週間終わりました

なかなか忙しくて更新できていませんが、生きています。
明日出席する披露宴の余興((オカリナ)の練習をするので、これから帰ります。
20:00から一時間ぐらい練習できるかな〜


*臨床心理学科2年生へ
本日、S205教室に、授業のプリント一式忘れた人がいます。心理学研究法Aの授業のプリントが中心で、他の授業も入っています。夜間の学生さんが見つけてくれました。心当たりの人は、森川研究室に取りに来てください。

2006年5月16日(火)
紛らわしいポーズです
さっき、JR鹿児島本線の車体に、
人がしがみついていて、マジびっくりした。
プロ野球の広告の写真だとは‥。

広告といえば、西鉄バスの車内広告は可笑しい。
「その上を行くネットワーク」ってコピーとか‥
「バスなら、あんな景色も、こんな景色も見える」みたいなコピーも‥

いちいち地下鉄をこき下ろしていると思うのは、気のせいだろうか。

その、西鉄バスの中にフロッピーディスクを忘れたので、これから、バスの営業所まで取りに行きます。
5月初旬になくした紙袋は、学内で見つかりました。
2006年5月9日(火)
知りませんでした。

論文を探していて、ふと目にとまった別の論文。その中の一文。
「わが国の1987年における全死亡数のうち、他殺による死亡者は0.8%であり‥」


?!そんなにあるの?!

(ちょっと古いデータだが、殺人事件の数というのは、そんなに変動がないから、これがほんとなら、このパーセンテージは大きく変わってはいないと思う。

例えば、〜〜という病気の生涯有病率が0.8%という数字だったとすると、教えるときには、こんなふうに言う。
「0.8%というと、小学校が一クラス30人、一学年4クラスだったとすると、同級生の中の一人は、一生のうちにその病気にかかる確率があるということですね。多いでしょう。とっても身近な病気ですね。」

それと同じじゃん!!
めちゃくちゃ多いじゃん!!



引用文献:薩美由貴・無着文雄(1997)「我が国における凶悪犯罪の事件および被疑者特性:過去20年間の捜査本部事件の検討」科学警察研究所報告 防犯少年編38(1)

2006年5月8日(月)
あっという間に

ゴールデンウイークも終わってしまいましたね〜。
私は旅行にも行かず、「家猫」をしておりました。
仕事のためにパソコンを家に持ち帰ったはずが、パソコンの中にあるゲーム、スパイダソリティア(上級)(←かなり難しい)を何回もクリアしてしまいました。(情けな〜)
これから、5月本番。仕事と、遊び足りなかったぶんの遊びを、挽回します。

2006年4月27日(木)
失くし物

JUNKUDO書店の紙袋を、2枚重ねにして、授業のプリントを運んでいる。
重たいプリントを運んでも破れないし、
外側の袋と内側の袋の間に、感想の紙(出席カード)を入れることができる。
3年使っている、その、紙袋を2日前に失くした。

ほかの人にとっては意味のないものだろうが、あのくたびれた紙袋がないと生きていけない。
中には、私の手持ち資料が入っているはず。

いったいどこに置き忘れたのか。
どこかにお邪魔していて「これ何?」って思われ、迷惑かけていると思うと、気恥ずかしい。
3年も使えば、紙袋=自分、みたいな感覚だ。
明日、教育相談の授業までに見つかるだろうか。

2006年4月24日(月)
一輪、二輪で思い出しましたが

私の友人が、うさぎの肉を食べ、「鶏肉に似ていた」と言った。
私はそれをきいて、うさぎを「一匹、二匹」でなくて、「一羽、二羽」と数える意味が、初めてわかった気がした。

小学校一年生の子にも、そういうわけなんだと教えれば、わかりやすいと思う。

2006年4月24日(月)
拾い物

しょっちゅう、失くし物をしている私にとっては、日本のおみくじに「失せもの」という項があることを、嬉しく思う。
私だけじゃないんだな、と。
この冬の落し物で言うと、手袋はぜんぶ見つかった。
マフラーは、見つからないままだ。

昨日の夕暮れ、家に向かう歩道に、チューリップが一輪、落ちていた。
白に赤の模様が入った、立派なチューリップ。

(落としたままにするのも、かわいそうよね?)

手に持って歩いた。

また一輪、落ちていた。
やはり白に赤だが、自転車に踏まれたのか、痛んでいた。

二輪、手に持ってあるいた。
周りの人からは、私が落とし主で、回収してるように見えただろう。

家の近くに、もう一輪、落ちていた。
今度は黄色で、丈が少し短かった。

合わせて三輪。

家の花瓶に生けた。

生けるには、三輪はちょうどよい数。
どこのどなたか知りませんが、頂きました。
大事にします。

チューリップはれっきとした拾い物だったが、
世の中には無形の落し物、拾い物もあって、
全く気付かぬうちに、自分が何かを落としてて、それが(良いものであれご迷惑なものであれ)誰かのところに行ってることがあるだろうし、
誰かのものを、自分がありがたく頂いてて、当の持ち主は知らないでいる、ということも実際あるよなあ、と思った。

2006年4月14日(金)
初週

あちこちの授業で、「マイブームは、オーラを見る練習をすること」と言ったからには、
今期の間に、けっこう見えるようになったと報告できるようになりたいものです。

それにしても、入るなり、「森川ってイメージじゃないね」ってヒソヒソ話は、どういうことですか。
聞こえてるんですからね。
「どういうことですか」って聞く勇気がありませんでしたが、聞いてみたかったですね^^;。

ということで、みなさん、半期間、よろしく。

2006年4月12日(水)
無題
学部としての臨床心理学科は、どんな人にでも来てほしい。
臨床心理学という学問の知識、体験
それは、職場、家庭・育児、あらゆる人間関係において、
一生、役に立つ宝になる。
臨床を学んだ人は、
社会に出るにあたっての、スタートラインで先んじている。
そう思いさえする。
そういう意味で、全国でもそう多くない「臨床心理学科」という学科は、
自信を持ってお勧めできる。

けれど、臨床心理を仕事にしていくというのは、
厳しい道のりだ。

先週から今週にかけて、他学部他学科の人も含めて、
毎日1人以上が、教務(カリキュラム)相談に来て、
「将来的には臨床心理士になりたい」というのを聴いていると、
全くもって、責任がもてない感じがする。
個人個人は、自分の中で確かな希望を見つけていて、
自分の内側の光を見つめているかもしれないが、
その人数の多さが私の中で累積
されている。
この人達にとってのライバルの多さはいかばかりだろう。
臨床心理士試験に合格しても全員にいきわたる職は無い。

そんな中、
「自分は大学院に入れるか」
「臨床心理士試験に合格するか」
という問いはあっても、
「自分が臨床心理士に向いているか」という問いが、いささか少ない人がいるかもしれないと感じるのは、気のせいだろうか。

一旦現場に出ると、どんなに駆け出しのセラピストであっても、
一人一人のクライエントにとって満足のいくセラピストでなければならない。
「人並みのセラピスト」なんてレベルじゃ駄目だ。
けれど天から与えられた才というものがある。
他の人がすんなりできていることが、自分にはできない。
どう努力してもかなわない部分がある。
一生を賭ける仕事で、自分の壁を認識することほど、辛いことはない。
その壁に立ち向かっては跳ね返される、修行。

問いたい。
君は、一番ひどかった時期の自分を治せるか。
その時期の自分自身に会って、心を開かせられるという自信はあるのか。

中学、高校のときの一番難しそうなクラスメート、
今、君はその人を治せる自信があるか。
その人を治せる人になれる自信はあるか。

それがどれだけ難しいかが、認識できる人でないと、
私は、その人が臨床に進むことを肯定できない。
2006年4月10日(月)
見える、見える(←自己暗示中)

夫の方が先に、オーラが見えるようになった。
といっても、一番身体に近い部分の、白い層が見えるようになったという段階だ。

桜を見に行くと、早速見ている。
「出とう出とう出とう」。
枝の周囲に、白いものがたくさん出ているらしい。

「花からは、なかなか、見えんね〜」
花見だか、オーラ見だか分からない。
若い、八重桜の木が一番見やすかったらしい。

オーラが見えたら大学を辞めるといっていた夫だが、
オーラが見えても、単に「あ、見える見える」って楽しみができるだけ。
人生観が変わるほどではないので
大学辞めるほどではないらしい。


夫「でもね。色まで見え出したら、大学辞めないかんよ。」
(本には
「もっと練習すると、白のさらに外側に、色のついたオーラが見える」と書いてある。)

いや、色も、見えたら見えたでたいしたことないんじゃないの。
あの人はこんな印象。暖色系、寒色系。なんて、普段から感じている雰囲気が、
色として見える、ぐらいのものだったりして。

そういう私は、やっとこさ、白いものが見えるか、見えないか。
枝からも、白いものが見えるか、見えないか、というところだ。

後期のカウンセリング演習までに修得したら、
「人間はみな、光です」なんて言って。
説得力があるかしら。

2006年4月4日(火)
しっぽ

教員でミーティングをしていると、M松先生がふらっと休憩に出て行かれる。
いちおうドアを閉めて行かれるが、いつも閉まりきらずに、微妙な隙間が開いている。
K田先生が、顔色を変えず、「しっぽがあるからね、M松先生は。あれ(隙間)は、しっぽの分」。
たしかに、しっぽがあってもおかしくない。
M山先生にも、ジャパニーズボブテイル(日本猫)のような短いしっぽがありそうな気がする。

新入生は、明日、そういう教員を含めた全員と会う。
オリエンテーション合宿。
朝早いですね〜(T T)

2006年4月3日(月)
備給

案外誰もが、他とくらべて自分をつまらない人間だと思ったりしているだろう。
だけど、「うらやましい」とか、あれが私だったらいいのに、とか思うごとに、
自分が持っているエネルギーは、その相手のほうに流れる。
誰かに「愛されたい」「振り向いてほしい」と願ったり、逆に「愛されているから生きていける」と浸ったりすることによっても、
エネルギーはその相手のほうに流れる。

だから、他の人のほうに注意が逸れたら、
すぐに切り替えて、自分を見るようにしたほうがいい。
自分という木の根元に水を注ぐのだ。

‥これが、現段階の私が掴んでいること。

2006年3月31日(金)
緊急告知

学校に、いつもの活気が戻ってきた。
3年、2年生のガイダンスが終わった。


終わったあとに出た質問で、意外なことが学生の身体に入っていなかったことがわかった。
(1年生のガイダンスで説明したですよ〜)


2年生!!
時間割の、1年生の欄に書いてある授業も、2年生は履修できるんですからね!!

‥‥って、何人ここを見てるかな。
2年生は、まだ私のことをほとんど知らないから、HPも見てないはず。
2年生、やばい。

2006年3月28日(火)
季節の中で

ひとつの仕事を終わって外に出ると、ちょうど、反対向きのバスがきた。
やらなきゃいけないことは、たくさんある。
だけど。

土曜日の、昼の日差し。


‥ということで、植物園へ。(3月に入って2回目。^^;)

近所の木でもいいのだけど、
植物園には、世界中の木がある。
いろいろな木に触れることができる。

あくまで私にとっての話だが、触れた感じに特徴があるのは、ブーゲンビリアだと思う。
かさかさした白い幹に触れると、すぐに、からだが温かくなってくる。
笑いたくなるぐらいの、エネルギーのあかるさ。

温室の外では、一本のヒカンザクラが、満開だった。
濃い紅色の小さな花が、たくさん下がっている。
幹に触れてみる。

エネルギー、そして、一抹の何か。

‥‥え。

‥‥。
((今の私をみてほしい。感じてほしい。))

‥‥恋?

‥‥って、誰に?

((天に。そしてすべてに。))


植物も人間も原子的には同じような成分だから、感情の成分も、基本的に同じであっても不思議はないだろう。
日本人が、桜となると気がそぞろになって、宴会せずにはおれなくなるのは、満願の、桜の想いを感じとっているからかもしれない。

べつのヒカンザクラの木は、もうほとんど散っていた。
木には悪いが、見た目には、無残とも言える。
盛りが終わっていくのは、寂しいことなのだろうか。
その幹に触れてみる。

‥‥満ち足りた幸せ。
‥‥咲き切ることができた。その充実感‥。

私も、人生の折り返し点、
散るときにはこの桜のように、幸せを感じられたら‥。

2006年3月21日(火)
見たいような、みたくないような

オーラの本があると、夫に言うと、夫(理系、オタク系)は、
「それは水蒸気じゃないかね。オタクのあつまるコミケ(同人誌の集まり)だと、オタクの熱気で、天井のちかくに白い雲ができるって、昔からよく言われとうよ。僕は見たことないけど。」

すごいね。そんなに水蒸気って出るもんかね。ていうかそれも一種のオーラじゃないの??

「とにかく、その本借りてきてよ。練習するけん。人が見えるもんが、見えんのは、シャクやけん」。
と夫は言いつつ、
でも、そんな非科学的なもんが見えたら、どうしょうかいな。大学、辞めないかんくなる。」

じゃあ、
○ 見えたら楽しい
○ 見えなければ大学辞めずにすむ
ということで、どっちにしたって、いいわけね。

そういうわけで、九産大の「オーラを知る・見る・活かす」の本は、現在借り出し中です。すみません。

2006年3月20日(月)
授業中のおすすめ娯楽

図書館をうろうろしていて、「オーラを知る・見る・活かす」という本を発見。
(なぜにこういう本が九産大の図書館に?誰が入れたの?(笑))
だいたいの、オーラが見える位置が書いてある。
極めて体表に近い位置に白いオーラ。その外側に、色のついたオーラがみえるという。
「このへんに見ようと思って訓練すれば見えるようになります。」
「まずは、自分の指を見て、練習しましょう」だと。
薄暗がりのところか、黒い紙を背景にして見るとよいらしい。

ざっと読んで、臨床心理センターに戻り、話をする。
すると、一人が自分の指を見ながら、「この、白いけむりみたいなやつですかね?」という。
え、見えるの?
「人差し指から特に出てますね。」「オレンジ色も見えますね」
ええーー。
私、色なんて全然見えないよ。
かろうじて、白いのは見える気がするかな。
「今まで、水蒸気だろう、蒸発してるんだろうと思ってたけど、これがオーラなんですね」

そんなに蒸発するわけないでしょ。それ、オーラ見えてるんじゃないの。
「スクールカウンセラー先で、『あの子今、赤ですから、気をつけて様子みましょうね』なんていったら、クビになりますよね(笑)」
クビになるかもしれんけど、べつの意味で列ができるかもね。


この土曜日は、県臨床心理士会の研修会だった。
行動療法の大御所、「や○○○○○こ」先生の講義だった。
黒板を背景に、や○○○○○こ先生が立って、幸せそうに、臨床について、お話しておられる。

よくよく見てみると、お体に近い位置は、確かに明るい。
これが、「体表に近い部分の白いオーラ」というものか。
その周囲は‥‥
何も見えないよ。
いや‥‥

一瞬、エメラルドグリーンが見えた。

やがて、若い人が前に出て発表をし、や○○○○○こ先生は、その隣で椅子に座りって目をつぶり、どうコメントするかを考えておられた。

‥‥先生の周囲に、一瞬、群青色が見えた。

もう一度見てみようとしたが、その後は話しに釣り込まれ、オーラを見ることを一切忘れていた。
さすがに、や○○○○○こ先生のお話しは、面白かった。


ということで、皆さん。オーラを見る練習をする場合、黒板を背景にしての状態は、やりやすいです。
大学の授業は高校と違って90分もありますからね。
気分転換に、いいかもですよ。

2006年3月13日(月)
会いたければ。

この冬の紛失品
○ 帽子 1
○ マフラー 1
○ 手袋片方×2(正確に言えば、3回紛失して1回復帰)

マフラーと手袋1は最近のこと。
ちょっと暖かいと、防寒具を失くしてしまう。
逆に言うと、だんだん暖かくなってきているということだろう。

福岡市植物園には、もう桜が咲いている。
ヒカンザクラではなくて、早咲き種の桜。
見た目は、普通の桜とあまり変わりがない。
薄紅や白の花びらから、まだ春になりきれていない白い空が透けて見える。

いつも、桜は儚くて、今しか見れない、とか思って
シーズンには気もそぞろになるけれど、
桜の時期自体は、実は、長いんだな。

求めれば、会いにいける。
ちょっと時間をとって、
そして、歩いてみれば。

2006年3月7日(火)
やばいです!

髪を切りすぎました。
鏡の中にカッパが居ます。

2006年2月28日(火)
享受

駅を降りたら、つくしが生えていた。
4本、摘んだ。
それ以上は手が届かなかったが、柵の向こうにもっとたくさん生えていた。
今、シーズンなんだなあ。
ということで、欲張りな私は、もっと探してみることにした。
人通りのない、貨物列車の線路沿いを歩いた。
つくしは1本も生えていなかった。
日陰の、長々と続く線路には、5メートル置きにいろいろな木が植えられていた。
幹に触ってみた。
触ると同時に、からだの感じが微妙に変わるのを感じた。
何かをもらいたいと念じなくても、こうして生き物同士が触れ合うだけで、流れるエネルギーがあるのだろう。

気のむくままに、10本、20本と触った。
やがて、1本の木から呼ばれた木がした。
触った。
すぐ、こちらからの何かが、幹に流れ込んで行った。
そして、向こうから波が帰ってきた。
はじめて「循環」をはっきり感じた。
それまでに私がたくさんの木に触れたことで、ほかの存在に分けられるぐらいのエネルギーを得ることができていたのかな。と思った。

‥それは気のせいだったのか。ほんとのことだったのか。

どうせ分からないなら、
気持ちのうえで幸せだと感じるような
ストーリーのほうに乗っていこう。

つくしは手に入らなかったけど、そのとき私は、幸せだったのだから。

2006年2月24日(金)
小市民であることを捨てきれない私

エリザベス・キュブラー・ロス&デーヴィッド・ケストラーの、「ライフ・レッスン」という本を読んだ。
死の迫った方々に会い続けて来た著者たちが言うには、死を前にした人のほとんどが「ここまで真面目に(仕事ばかりをして)生きることはなかったな」と言い、「もっと仕事をしておけばよかったな」と後悔する人は一人もいない、ということだ。
「仕事」、と、「魂にとって良いこと」は、車の両輪のようなもので、現代生活は前者にかなりの比重がかかっているのだろう。
「人生にとって大事なのは、ほんとうの自分になって、ほんとうにしたいことをすること」。著書全体からメッセージが伝わってくる。

それを読んだ日、「トリビアの泉」で、「黒柳徹子が35年間ブラジャーをしていない」という話を見た。

そういう生き方、したいかも‥

(でも、やっぱ、できないかも‥)

35年間ブラジャーをせずに生きた黒柳徹子は、人生を後悔をしないと思う。

2006年2月20日(月)
「はるかかなた」という言葉の美しさ

すでに注文したメディテーションのCDは、届くまでに3週間はかかる。
欲を言えば、単にわかりやすいゆっくりした英語であるだけでなく、
スクリプト(全文、せりふが書いてあるもの)が付録で付いていると、英語がわかるのでありがたい。
ということで、他のCDを検索していると、以下のサイトに行き当たった。

http://www.meditations.bz/scripts-articles/spiritual-cd.htm


メディテーションのCDを作っている人のサイトで、スクリプトの全文を載せてある。販売もしているようだが、アメリカ国内で売ることしか想定していないようだ。
どんな内容か、みてみると‥

‥‥‥空気のなかの、霧のようなものが密度を増して、からだの中に入ってきます。
‥‥‥その霧が、ちいさな、1インチほどのエンジェルになって、あなたの心臓に居ます。エンジェルが穏やかで、思いやりに満ちていて、光かがやいているのを感じましょう。
‥‥‥エンジェルは大きくなり、あなたのからだと同じぐらいになります。
‥‥‥エンジェルとあなたは更に大きくなり、あなたの街を包みこみます。
‥‥‥エンジェルとあなたは更に大きくなり、銀河の中心に居て、あなたの頭は天体の間にあります。
‥‥‥エンジェルとあなたは更に大きくなり、いくつもの銀河を含むようになります。あなたが考えられるものはすべて、あなたの中に含まれます。
‥‥‥やがてすべての境界線はなくなり、愛も、平穏も、神さえも超越し、「ただそこにいる」という状態になります。

ちょっと待て。
大きいぞ、あまりに話しが大きいぞ!!!

ためしに自分でやってみたが、「1インチのエンジェル」ってところまでしか行けなかった。

逆に言うと、そこまでは行けた。

‥‥‥銀河を超える。

練習次第だろうか。

2006年2月16日(木)
あと5ヶ月しかありません(汗)

7月、私たちは、PCEという国際学会へ行く。
「ポツダムだよ。あの、ポツダム。行きたくないかい。」M山先生からそう鼓舞され、九産大から大挙して行く、この機会でなければ、私なんか一生国際学会で発表はできない。

英語の勉強用の音源が必要だ。
ハエが止まるぐらいのゆっくりした英語じゃなきゃだめだ。
リラクゼーションの教示のスピードなら、さすがの私も聴き取れるだろう。

ということで、メディテーションのCDを今日、注文した。
届いたら、みんなで輪になって、メディテーションしよう。
英語でリラックスできたら、自信もつくというものだ。
催眠状態では記憶力が上がるというし。
うんうん。

どすこい、付け焼刃。

2006年2月13日(月)
またね

この土、日は、臨床心理士の基礎研修が福岡で開かれていた。
基礎研といっても、若い人だけでなく、臨床心理士資格維持の研修ポイント「2点」をゲットするために、全国からいろいろな年の人が来ていた。
みんなが、「基礎」を勉強していた。

私は借り出されて裏で荷物番をした。家に帰って1時間ぐらい寝ようかと思ったら、近所の、年取った猫が遊びに来た。
彼は来客用のキャットフードを食べ、こたつぶとんの上で丸くなった。
寝た。
眠り続けた。
仕方が無いので、私はあまり物音を立てないように、彼の横で本を読んだ。
そして、(私は、他所の猫が眠れる程度の安心感は提供できている、と思っていていいだろうか)、と思った。
(人間との面接において、私は、その程度の安心感がある場を作れているだろうか?)とも思った。

自分が50歳になったとき、60歳になったとき、まだそのようなことを懸念するものなのだろうか。
あるいは、もっと確たる自信ができているものなのだろうか。

2時間経った。
彼は、再びキャットフードを食べ、水を飲んで、帰った。

2006年2月8日(水)
ふう〜

九大大学院、司法矯正心理学特論、集中講義終わりました。
専門外のこの科目、集中的に勉強したつもりではありましたが、もう、ほんと、教える側は、質問にもよく答えることができず、大学院を教えるレベルに達していませんでした。参加の皆様が忍耐づよく、「一緒に勉強」してくださったお陰で、3日間を終了することができました。感謝します。
テーマ上、重めのワークが多くなり、疲れたかもしれません。ついてきてくださって、ありがとうございました。

ここ10日間、メールの返事等ままならず、不義理していた皆様、ごめんなさい。

2006年1月31日(火)
博士の愛した数式
テレビが、パレスチナ問題を報道していた。
夫「どこまで行っても平行線やね」
私「それだけ、取り返しのつかないことがいっぱい重なったんかもね。私たちの生きてる、この一代のうちには、どうにもならないものなのかもね。」
すると夫はふいに声をあげ、「平行線。そうか平行線か。世の中に平行線ががあるということは、人間の中にもそれがあるということやね。人間が、平行線を体験するために、パレスチナがあるんかもね。」

夫はインターネットをしに、部屋に引っ込んだ。私はテレビを見続けた。

純粋な平行線というのは、稀で、たいていの平行線に見えるものは、ちょっとでも角度が内側に向けば、果てしなく果てしなく遠い先に、それらは交わる。
いつか、交わる。
2006年1月23日(月)
君からポン酢をもらうなんてね(笑)

土曜日は、九大のF盛氏のところへ行き、フォーカシングの教材用ビデオを撮った。(要は、単に、撮影しながら二人でフォーカシングをしたという意味)。
ちょうどいい具合に、30分程度に収まった。

そして、F盛氏から、「ポン酢」をもらった。

「手作り ぽん酢」と手書きの紙が貼られたそのビンは、マジでどっかに売ってそうで、笑いを誘われる。

「ちゃんと評価してよね。そのほうが嬉しいから。例えば、もっとかつおぶしが強い方がいい、とかさ。後味がねえ。もう少しすっきりしてもいいと思うんだよねー。」
「そんな細かいことまで、私分からんかもよ。味ってどのあたりで変わってくるの?
「同じ材料使ってても、時によってぜんぜん違うんだよね。昆布の焼き加減とかでもさ」


私が、写真を撮ってHPに載せるというと、彼は快諾していつものように調子に乗り、
「注文が殺到したらさ。、『東インドフォーカシング会社』(注:インドの東だから)製作ってことにして、売ろうか」
「いいね(笑)」
「ただね、もうけはないけどね。薄口醤油も濃い口醤油も、かつぶしも、みんな最上級のを使ってるからさ。」

ビンを開けると、かつおぶしの香りがした。
夜は、彼の言うとおり、鍋にした。
ダイダイが鮮やかで、きりりとしていた。
マジで美味しかった。
余分な混じりけがないものというのは、貴重なご馳走なんだな。ということが、良ーーーく分かった。