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2009年4月17日(金)
PCA文献検討会
4月12日(日)、表記研究会を行いました。
『パーソンセンタード・アプローチの最前線―PCA諸派のめざすもの』(コスモス・ライブラリー)を輪読、し終わりました。

この本の第6章を読んでいると、
パーソンセンタードって流派のカウンセラーの定義に、
第一条件 実現傾向を信じていること。
なんて書いてあって。
(注)実現傾向…人間が建設的な方向に成長しようとする傾向。

「実現傾向、信じてますか?」
「いや、それは、総じてあるとは思うけれど、目の前の人に対して、常にそれを念頭においているかっていうと…」
「今のその人のことを見てる。」
「根っこの伸びていく先のような、ごく近い次の瞬間、方向性は感じているけど。」
「だいたい、実現傾向を信じるって、こっちがその人の将来を決めてかかって、決め付けてるようで、押し付けがましくない?」
「そうですね、もう生きていても仕方がないって言っている人に会うとき、実現傾向のことばかり考えてると、ずれますよね。」

………。
みたいな議論の果てに、

「自分は、パーソンセンタード・アプローチの人間では、ない。」という気分に…。

今まで、自分の流派は、
「パーソンセンタード・アプローチ」でもあり、「体験過程療法(フォーカシング)」でもあると思っていましたが、

違いました。

さよ〜なら〜

とはいえ、下の、4月16日の日記のようなこともあるので、
もちょっと、実現傾向信じたほうがいいのかも…。



ところで、
この研究会は、次回から、新しい本を読みます。
『解決指向フォーカシング療法―深いセラピーを短く・短いセラピーを深く』バラ=ジェイソン著
6月28日(日)
午後13:00から、17:30まで
場所は九州大学心理教育相談室内のプレイルームの予定です。
このテーマに関心のある大学院生(院卒)の方、一緒に勉強しましょう。
当日直接いらっしゃって結構です。


研究会の名前は、面倒なので、たぶん替えないでしょう。
2009年4月16日(木)
視力6.0(2)

その瞬間、私の中で蘇ってきたのは、15年以上前の記憶だ。
修士を出るか出ないかの頃、先生の部屋に呼ばれ、
勧められたのは、
どこか遠い県の、助手の仕事だった。
「女性を探しているっていうし。カウンセリングとか、エンカウンターみたいな
授業を、実習型で、教えてほしいっていうんだよ。
アンタにぴったりな仕事だと思ってさ。
時々フォーカシングなんかも教えてさ、学生と楽しくやったらいいんだよ。」


そんな事言われても、当時の私は、
授業もしたことがなく、
それどころか対人緊張気味で、

人間的に、トラブルメーカーだったから、
就職したら、間違いなく、迷惑をかける。
それは自分でよく分かっていたから、教員にはならずに臨床で行きたいですと、
日ごろから
公言していたのだ。
内心、(先生は、私のことを誰かと間違えてるんじゃないかな。)と思い、断った。

怖いのは、
それから10年後、九産大に来て、私は、
あの時先生が列挙した科目を、
まさに先生が予言したような教え方で、
教えていた、ということだ。

つまり。
あのときの村山先生が見ていたのは、
その時その場にいる私ではなく、
10年後の私。

これだけ遠くが見えて、近くは、時々、見えないことがあるっていうのは、
これはもう一種の変才、いや、天才で

私は、目の前の人が、
今どんなふうか、とは感じようとするけれど、

将来像を、そんなに夢見たりしない。
ましてや10年も先のことなんて。

けれど、もっと、夢見たほうが、
人をもっと、好きになれるのなら、
考え直したほうがいいかもしれない。

そう思った夜の、村山先生の、相変わらず青年のようだった目。

2009年4月1日(水)
視力6.0(1)

恩師の村山先生がご退官になるにあたり、いくつかのセレモニーがあり、いよいよ、
学部の歓送迎会が最後の日だった。

平井君が誘ってくれて、先生と3人で、夜遅く、お茶を飲んだ。
先生はいつものように、いろいろな人の名を挙げて、「あの人は、もっと、こういうことをしたらいい。」「そしたら、伸びる」みたいなことを、次々とお話になった。
果ては、自分の門下生ではない、もう十分にご高名なA先生のお名前を挙げられ、その特徴に言及なさり、
もっとこうしたらいいのに、と何度か繰り返した後、
16歳の青年のような、輝く目で、おっしゃられた。

「そうしたらね、あの人は、すごい人になるんです。もっともっと、あの人は、本当はね。すっごい人なんですよ!!!」

大輪の、カトレアに似た、
花でもありそして光でもあるような
世界で一つだけの花、
まだ輪郭ははっきりしないけれど、これがこの人の本質なんだという、
確信を持って、
村山先生が、A先生の未来の姿をとらえた瞬間を、
私は見た。

2009年3月29日(日)
ビバ、先輩

どうも、ものを、ボスボス言ってしまってまずい。
「絶対これが正しい」と思いながらものを言う不遜。

フォーカシングの研究会(というか、寄り合い)で、そんなことを漏らしてみると、
「それは、40歳だからね。」の一言。

「え、年は関係あるんですか」と、50代のおねえさまに尋ねると、
「あるわよ。40代ぐらいになると、自分のものの見方が確立してきてるでしょ。絶対これが正しい、って思うようになるよね。自分のやり方で、ただ、ひたすらに、一生懸命こ、やる時期。そういう時期もないといけないわけよ。だから40代は、その日その日が精一杯で、今日のことしか見えない。
それが50代になると、
先のことや、周りのことを、眺めるようになるよね。身体がついていかなくなって、走ってばかりではいられないってこともあって。自然にね。」
そばに居た70代の女性も言う。「そうそう。四十にして惑わず、よね。」
「え、j孔子のそれって、40才になると正しい判断ができるようになる、って意味じゃないんですか。」
「いやだって、何が正しいかってのはその人の主観だから…。四十にして惑わずっていうのは、40歳になると自分の思うことに確信が出てきて、惑わなくなるっていう、そういう感じのことよね。」
そう、そう、というように、すまし顔のおねえさま方。

孔子がすごく身近に感じられる。

70代のおねえさまは、さらに言う。
「エリクソンの発達段階って、教科書には、老年期、60歳頃のことしか書いてないでしょ。あれ、もっと先があるのよね。老年期後期って言って。90歳ぐらいのことまであるのよ。
目も耳も聞こえなくなって、身内も亡くなって。全て失っていく中で、それでも残るものがあって。
自然に回帰していって、老年的超越性ってのを獲得するわけ。
楽しみよね。」

本を残した偉人にしても、身近な人にしても、
先輩がいるというのは、ありがたいことだな、
と思った日。

2009年3月28日(土)
いつまでも先生は先生

恩師のM山先生が、75歳になられて、もうどこの大学にも所属なさらず、大学からの開放されるに当たり、
100名以上の大学院卒業生が集まり、退官記念同窓会を開いてお祝いした。

自作の歌は、前の夜に集まって練習していると、
気持ちが昔に戻るせいか、ちょっとしたことが可笑しくて
笑いが止まらなくなり、
演奏不能の危機に陥ったが、
当日は、無事、演奏することができた。

学生時代、いろんな形でアジテートしてくださった先生を思い、
「いつも、本気にさせてくれて、ありがとうございました」とセリフに織り込み、
めっちゃくちゃ本気に歌ったところ、
先生は、森川がよほど音楽好きだと思ったのか?、
帰りのタクシーの中で、奥様に、
「森川さんは、アイツあ、何か他の職業の方が向いていたんじゃないかな」と
真剣に心配しておられたとのこと。

心理士として一流だと思われていれば、「森川サンは音楽も好きなんだな」ぐらいで済んでいただろう。

どうやら人生の後ろ半分も、本気出さないと駄目なようだ。
今頃また、こんな形でアジテートされるとは。

ということで(?)、
同窓会においでくださった皆様方、どうも有難うございました。
私は幹事のくせに楽器ばっかり吹いていて、当日、あまり皆さんにお話できずすみませんでした。

2009年3月23日(月)
できれば弟子入りしたい

手相を勉強しているということを言いふらして回っていたら、
情報を教えてくださる方がおられて、
福岡市は東区の、
姓名判断、手相、オーラまで観てくださるというところに、
行って参りました。
少し長くなったので、ミニ体験記として、なんでも体験記のページに置きました。

2009年3月18日(水)
フォーカシングの夕べ 

月に一度のフォーカシングの集会、「フォーカシングの夕べ」、
3月は、
ペアフォーカシングの予定でしたが、
皆さんのご希望でポストカードフォーカシング、
そして、「フォーカシングを日常で応用するには」という座談会になりました。

それぞれ、使っておられる角度が違って、豊かな話し合いになったように思いました。
この3月18日で、予定されていた回が終わりました。
今まで お集まりいただいた皆様、

どうもありがとうございました。

しばらくお休みいたしますが、
フォーカシングの練習会を、
うちの大学院生の高崎さんが企画して、なさるそうですから、
また、決まりましたら、このHPでも、お知らせしたいと思います。
よろしくお願いします。

2009年3月17日(火)
おめでたい日 2
臨床心理学科、2期生の卒業式でした。
謝恩会まで、ありがとうございました。
いや〜みんな立派でした。外見もでしたが、もちろん中身も。
スライドショーを見て、みんなこんなにご活躍だったんだなと…。
それに、皆さんのつながりは、一生の宝ですね。
どうぞまた遊びにきてください。
2009年3月14日(土)
おめでたい日
フォーカシングのF盛氏がご結婚、ということで、おめでたい日でした。
人生、適当なところで妥協してわき道に入ったりせず、
あくまで自分の心に正直に、まっすぐ歩いていると、
こうしていいことがあるのですね。おめでとう。

写真は、「おまんじゅう入刀」の後、デザートとしてふるまわれたおまんじゅう。
2009年3月13日(金)
脱おばちゃん

毎年、休みの時期には
2泊3日とか、まる1日とかで、
セラピーの研修に行ったりするのだが、
今年は春休みといえど、なかなか時間がないので、
半日でもなんでもいいから、何か気分転換に習ってみようと、
「パーソナルカラー」なる講習会へ。
私のような者が行っても、綾小路きみまろみたいに、「あなたの顔じゃあね…」とか「もうどうでもいいじゃない、その年なら」などと言われるかな、等と心配していたが、
同年輩かそれ以上のお姉さまが多くて一安心。

講師の先生によると、
肌の色や目の色などで、似合う色の群、つまり、色相・明度・彩度の組み合わせが、決まってくるという。
そして、20人ほどの参加者一人一人を先生が前に出し、いろいろな色の布をあてて、
似合う色の群を選定していく。
それを他の参加者も皆見ていて、うなずいたり感心の声を上げたりしている。

最初のころは先生の評価や会場のうなずきがことごとく自分の予想とずれて、これは大変なところに来てしまったぞと思ったものだ。
私は、その人に似合う、似合わないで色を判断できず、自分の好きな色とか、洋服として無難な色の布が出て来ると、「似合う」と判断してしまっていたのだ。

しかし、2時間も見ていると、だいぶん分かってきた。

前に出たその人に、布が当てられたとき、
私の頭の中に瞬時に、「ア、おばちゃん。」という字が浮かんできたら、それは、似合わない色なのであって、先生も、「これはお顔の色が悪くなりますね」とかおっしゃる。
一方、似合う色の布が当てられると、私の頭の中には、「ほー」とか、「○○さん」(←適当な、かっこいい苗字)という字が浮かぶのだ。

「おばちゃん」という印象になる人は、
年齢とか顔立ちのせいではなく、
似合わない色を着ている人だったんだ、ということが
今回良く分かった。

ちなみに私は、
白が混じっているような淡い色は絶対NGで、
茶色やベージュもよろしくなく、
濃く、はっきりした色がOKとのことで、
とりわけ
容赦ないぐらいの真赤、
真緑、真黒を勧められたのには驚いた。

似合う色の群が決まると、素材、柄も自動的に決まるらしく、
「張りのある素材、柄はあくまで大いものを。」とのこと。
上記のことを、ものの5分で診断された。


ちなみに、ここの先生でした。

http://www32.ocn.ne.jp/~colorplanet/

のっけっから個人診断や資格講座は敷居が高いと思われるかもですが、
地下鉄の情報誌なんかに載っている気軽な講座が、再び開催されるようでしたらお勧めです。

2009年3月6日(金)
いや〜ん

本日付をもちまして、
バカボンのパパと同じ年齢になってしまいました!

2009年3月2日(月)
恩師のM山先生が退官なさるので、今月末、記念同窓会なるものが開催される。
「堅苦しいことはヤメにしようよ。バンドはあるんだろうね。」と先生。
なんせ、20年間何かとおそばに居させてもらい、お世話になったので、
歌を作り、
一緒に演奏するN野氏、F盛氏にデモテープを聴かせる。
「この曲…!体温が上がる!」
「何スか、その感想は。」
「いや分かる。僕も体温が上がった。」

「えーF盛くんまで…
「きっと、ストレート、だからだろうね…(苦笑)」

その、ストレートすぎて体温が上がるような恥ずかしい歌を
ヴォーカルのN野氏に歌わせ、
私はオカリナ…。
ごめんね、N野さん。

あと1ヶ月、練習に明け暮れる予感。

2009年2月19日(木)
ということで

昨日「フォーカシングの夕べ」お集まりいただいた皆さん、ありがとうございました。
批評家の取り扱いということについて、集団法で、ワークをやってみました。なんせ大きな、大事なテーマですから、整理がついた方。1回では整理がつかなかった方。いろいろで…。
来月は、ペアフォーカシングです。

2009年2月19日(木)
出家、托鉢です

昨日まで、某大に犯罪心理学の集中講義に行って、学生の皆さんにさんざん世話になりながら、つたない講義をたれさせていただいた。
どこの院でも関心事は、職があるのかどうか、ということで、
「大学院を出て、初任給が12万とか、13万ですからね…」といった言葉を聞くと、臨床心理の領域の厳しさを、改めて思う。
それでも、就職があるのなら、良いほうだ。

その厳しさは、昔から変わっていない。
なんで自分は、院生の頃、あんなに、将来に無頓着でいられたのだろう。
職のあるなしよりも、自分が心理士として働いていけるのか、こんな私でも応募して良いのか、そっちのほうが心配だった。
もし、心理士でモノにならなくても、
自分がもちょっとマシになりさえすれば、
きっと働く場は、何屋さんでも良くて、
パートやアルバイトでまじめに働いて、
一生、六畳一間や四畳半一間でも、自分のスペースを持てて、
1日300百円もあれば食費は足りるから、こつこつ貯金できればれば、
幸せ。

古いアパートを見ると、あそこに住むならどう住もうかと、憧れを持って想像を働かせたものだ。

今思うと、年取ったらパートやアルバイトの求人って、少なくなるのだから、
あのとき心理でモノにならずにアルバイト生活に入っていたら、中年になって六畳一間の生活も立ち行かなくなるぐらい困窮していたかもしれない。
振り返ると、多大なリスクのある道だった、というわけだ。

でも確かに、あの時よりは、自分を嫌いでなくなったし、
いっそ地下鉄に飛び込もうかななんてことは、思わなくなった。
暗いところを通ってきた目に、光はまぶしく、
こんなに幸せでいいのだろうかというぐらい、幸せだ。

そういう意味で、明らかに、夢は叶った。

心理の勉強って、宗教の修行に似てるかも。

2009年2月12日(木)
連絡
臨床の新4年生で、卒論を書く方は、全員、希望の研究室に配属になりましたので、お知らせします。
2009年2月12日(木)
なかなか

更新できていませんが、生きています。
2月16日から18日まで、九州大学大学院で、犯罪心理学の講義をしますので、ここんとこ、その準備をしています。準備したところで、例年と大幅に変わるわけではないのですが、なにせ私の専門ではないだけに、なんとか思い出して例年の水準に達するというだけでも、準備が必要なわけです。とほほ。
しかも、その、2月18日の夕方は、「フォーカシングの夕べ」がありますから、平行してその準備もしています。
今回のテーマは、「批評家の取り扱い方」です。学生の頃、フォーカシングをして、はじめて、自分の中の批評家の声から距離を取るという体験をし、とても、楽で自由な感じがして、人生初めての感覚というふうに驚いたことを覚えています。
そして今に至ります。

批評家について講義する下準備として、
フォーカシングの洋雑誌The Folio2008年号に掲載されている、ON OUR WAY WITH THE CRITIC”(著者 Christine Langeveld and Erna de Bruijn)の論文を訳してみました。訳文は、早晩、日本フォーカシング協会のHPに、載せていただける予定です。
フォーカシングにおける批評家の取り扱いの歴史が分かって便利でした(ドイツ系の歴史を軸として書いてありますので、ヒンターコフさんとかの貢献が抜けていますが)

著者のお二人は、批評家を取り扱うってことに特化したフォーカシングのワークショップを行っておられるようです。
論文中、批評家を2つのタイプにわけてあり、それぞれに、扱っていく手法が書いてありました。
第2タイプの批評家については、カウンセリングの中で、しばしば登場してそうですが、フォーカシングとしての取り扱い方はよく知りませんで、日本で聞いたことがないものでした。いつか誰かと、論議してみたり、この手法を試してみたりしたいものです。

2009年1月20日(火)
クリスタルボウル

情報を教えて下さる方がおられて、
以下のHPで、クリスタルボウルの遠隔のセラピーとやらを昨日と今日、体験してみました。
http://www.bekkoame.ne.jp/~ktana/crystalb3.html


昨日のダイヤモンドは、ちょっと手がピリピリするかな、ちょっとすっきりするかな?ぐらい。
今日のモルダバイトのほうは、身体のボトムの真ん中に何かを感じて、その何かが、だんだん、みぞおちまで上がっていったような?。それでやっぱり、終わるとなんとなくすっきりしたかな、と。


絶対これは受け取れている、という確信はないですけど…。
というのは、普通に目を閉じて15分瞑想したらそれなりに気持ちいいですからね。
私はあんまり敏感なほうではないので、普通の瞑想の気持ちよさと区別がつきにくいです。

でもまあ、瞑想って自分ひとりでやると、モチベーションが続かないので、瞑想の助けとして、いいと思いました。

それにしても、無料で、誰でも、連絡なしにセラピー受けていいとは、太っ腹なセラピストさんです。合掌!

2009年1月17日(土)
「前世負け」ってやつでしょうか

催眠の先生のルームが、
県外に移転するとのことだったので、最後に、遊びに行ってきた。
このHPに、体験記を何ページも書いているけれど、印象に残っているのは、
日が近いせいもあって、ワークショップでの体験のほうだ。
グループ催眠で、「最もうまくいった前世」をみてみるという教示で、
私が見たものは、
人間ではなかった。
人間が山を訪れ、「ああ」と感動する、その心の動きに関係している「何か」だった。

人間は、「自分一人で」癒されていると思っているものだが、
実際は、景勝地には人間以外の者も住んでおり、人間が感動できるように、密かに手伝っているものらしい。
ふさぎこんだ女性が来れば、その「何か」は、
女性のあごを、わずかに上げる。
すると、女性の目には、「今までとは違う世界が」飛び込んでくる。
苦悶する若者が通れば、痩せた両肩を、ちょっとだけ後ろに開く。
すると、若者の胸には、「新鮮な空気が」深く入ってくる。
人生のどこかが変わったと感じる。

私は、前世を100%本当にあったこととして、実感できているわけではないから、
全くの空想だという可能性もある。
だとしても、まあ、
「自分は、こういうものを、人生の成功だと感じる志向性があるのだな」と確認した、イメージ療法の体験だったとは言える。

どこをどうすれば、悩んでいる人を、手助けできるか。
見極めて行う、微細な所作。
クライエントさんが変わるには、セラピストの働きは、必要最小限でいい。
クライエントさんが、自分の足で旅をして、自分でつかんで、変わったと感じる。
それが、心理療法の理想。

ただ、一旦「これが本当に前世だとしたら」と想像すると、
全然違った教訓が、勢いを
持って自分に迫ってきてしまう。
なんせ、山の前世は、ほとんどすべての時間を修行に充てていたのだ。
朝は朝の緑、夜は夜の風、自然の中に身を晒して、すべてをありのままに感じる
という修行だ。

だとすると。
そこにあるメッセージは、

「努力をすればここまでできる」とか。
「ここまで努力しなければ、理想の心理療法はできない」とか。

………。

今の人生、大きく間違っているとまでは思わないけれど、
深く考えだすと、細かいレベルではまだまだ、どう生きていったらいいか分から
ない。

2009年1月16日(金)
気づいていれば

下記の件、武道館は、コート着てれば大丈夫でした。ご心配おかけしました。というか、授業終わって、後ろの窓が3センチ開いてたことに気づきました。気づいてればもっと暖かかったでしょう。残念!

そして昨日、卒論発表会無事終了しました。卒論提出日の翌日が卒論発表会という日にち(しか、大学の試験の都合で、日が取れなかった)の設定ため、その点では皆さん大苦労しておられましたが、まじめでしたね…。後日、卒論のタイトルを、どこかのページにのっけたいと思います。

2009年1月9日(金)
コート着てきてください

今日、カウンセリング演習の最終回を、内容的に、落ち着いた、ひろびろしたところでないと実習できないと思い、武道館2階を取りましたが、暖房が付いてないかもしれないと、今日気づきました。今さら替えられませんので強行突破します。

2009年1月6日(火)
痛恨のキワミ

くじ、おまけ、福引のたぐいが大好きな私が、福袋を買わないわけはない。
楽しみにしていた洋服のお店の福袋をゲット。ついでにもう一店。
まだ時間があったので、岩田屋に行き、某社のチョコレートの福袋(1000円)を購入。
意気揚々と地下鉄に乗り…、
ふと気づくと、袋が一個少ない。
最初に買った、本命の福袋を、天神駅のベンチに忘れてきたものと思われる。
あわてて引き返したが、どこにも無い。
………。
自分の左手にしっかり握り締められたチョコレートの小さな福袋が悲しい。

しかも家に帰ってチョコレートの福袋を開けて見ると、例年より量が少ない。
………。
どっかに買収されるって言ってるぐらいだから恨むことはできない。
でも、今年のこの流れで、チョコレートが少ないのはわびしいぞ。

嗚呼1万円。

もうこうなったら、
卒業生に電話をかけて株を習おうか。
目指せ1年後に1万円の配当。

(ちなみに、腹いせにもう一袋博多駅で買い、計2個の洋服の福袋にはけっこう満足した森川でした。
本年もよろしくお願いします。)

2008年12月26日(金)
それでも生きてるから大丈夫

今年も早や、暮れようとしております。
今日研究室に来られた方は、分かっておられると思います。
ハイ、その通り。
大掃除してません。
コップぐらいは洗って帰ります。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

2008年12月24日(水)
連絡

・カウンセリング演習、精神保健論Bのレポート締切日をアップしました。「授業」のページです。

・毎月第3水曜日「フォーカシングの夕べ」、いつもお集まりありがとうございます。
1月がペアフォーカシングというのは、変更ありませんが、
2月の予定が
「ホールボディーフォーカシングの試み」だったのを変更し、「批評家の取り扱い」をテーマにしたいと思います。
ホールボディーフォーカシングだと私が教え慣れていないということと、1時間50分で教えるのはちょっと難しいと思うのと、
そして、批評家の取り扱いのほうが、日常生活へそのまま、よい影響を持ち帰りやすいと思ったのが理由です。

2008年12月24日(水)
日常的に走ってますがジャンプはしてません

1年前の手帳を見てみると、12月はじめから年末年始は、8人の卒論生のうち誰かが卒論のことで研究室に来てて、
びっくりするほどスケジュールが埋まっているけど
今年は4人ということもあって、そうでもない。
(これからかもしれないけれど。
そしてこれからそうなっても、こっちは構いませんが。)

だけどなぜか今年の後期は忙しかった。
日常業務とか、飛び込みのなんやかやで手一杯。
11月ごろまでは、殊勝にも、英語を聞きながら行き帰りしてたけれど、
12月に入ると、朝、眠いんで、激しい音楽を聴きながら上半身の角度をキープ…。

そんなわけで午前の目覚ましとしてお世話になったのが、「pe'zmoku」ってバンド。
テナーサックスやピアノなんかが入ってるのに、「私も音楽続けてたら良かったなあ」なんて後悔の気持ちになることなく聴ける。
この人たちの、過剰な風圧のせいかもしれない。
ここまで激しくやられたら、うらやましくもなんともない。
来年4月にライブがあるらしいから、行ってみたい気はするけれど、
こういうバンドだと、
オールスタンディングで上下に飛ばないといけないのだろうか。
いったい日本ではいつごろからコンサートと言わずにライブと言うようになり、
そして、わざわざジャンプしながら音楽を聴かないといけなくなったんだろう。

運動神経、超にぶいんですけど。。。

音楽はともかく、運動は何かを続けてやってたほうが良かったでしょうか。。。