森川研究室ホームページ
気まぐれ日記
2005年8月18日(木)
怪談募集

今年は酷暑で盆を過ぎても「残暑」の兆しが見えない。
英語の先生が、怖い話しが大好きで行く先々で収集しているとおっしゃるので、聞いてみた。
「九産大には怪談が無いようですが?」
「あー、ここは、無いですねー。」
「どうですかそれ、怪談のない学校というのは、学校としてどうなんですかね」
「まあ、いろんなお化けみたいな子がいっぱいいるから、本物の死んだ霊は寄り付かないんじゃないですか。」
先生それはククク、と言おうとしたら、目線の先を、ズボンをずり下げたムーミン、ギターをからったスナフキン(やや大柄)が、悠然と横切っていった。

まあ、学校が体育会系で元気がいいというのは、良いことかもしれないが、最低一つぐらい怖い話しがあってもいいのではないかと思う、今日このごろ。

2005年8月16日(火)
いったいほんとは何匹いるのか知りたい
家には遅く帰り、行事にも出ないから、ご近所に知り合いはおらず、このあたりのことがほとんど分からない。
なので、他人様の会話には耳をそばたてさせていただくことにしている。
出掛けにエレベーターに乗ったら、おじさんとおばさん、いえいえ、おにいさまとおねえさまが、同時に乗り込んでこられた。
お二人は、知り合いのようで、お互いに会釈をするとすぐに話をはじめた。

おねえ「うちは昨夜も、いっぱい食べましてねえ。」
おにい「お宅もですか。うちもですよ。」

‥‥いったいなんの話ですか。

おねえ「それで、夜は、かならず出るって言いますでしょう。」
おにい「そうそう」

‥‥まだ話しが見えない。

おにい「今朝見たら、よう食べとったですよ」
おねえ「そうですか、まあー(苦笑)もうねえ。夜もあんなに食べたのにねえ。」

‥‥。
猫の話か!!

つまり、このお二人はそれぞれ、猫を飼っていて、猫が夕食をにたらふく食べ、夜は外に出るもんだから、おねえさんが棟の陰に朝食用のエサをおいている。で、おにいさんが今朝その皿を見て「よく食べているなあ」と思ったんだな。
おねえさんとおにいさんの家の猫は、棟付近でよく見かける、丸々太った茶トラ何匹かのうちのどれかなのだろう。

と、ここでエレベーターが一階に着いた。
おにい「居ますかねえ」
おねえ「居ますかしら」
二人は、私もいつも猫を探すあたりに目をやった。
おにい「いませんねえ」
‥‥猫はいなかった。
おねえ「いないわねえ。クロちゃんは居るかしら?」

‥‥。
というわけで、私の家で勝手に「クロちゃん」と呼んでいる黒猫は、他所のうちでも「クロちゃん」と呼ばれていることが分かった。
統一の名前で呼ばれていてよかったね、クロちゃん。

写真は、近所の花です(猫撮ろうとしたけど居なかったので)。
まだ暑い毎日です。
2005年8月15日(月)
う〜ん

本日、教育相談の採点がほぼ終わりました。
出席率にかかわらず点数ですでにDが決定してしまった人は、一桁台の人数に収まりました。これは例年と同じです。
100点の方は9人と、多かったです。
残りの人は、出席と照らし合わせて評価を出します。
今回のカウンセリングの例題に対しては、昨年までと比べると、説教臭い回答の人が多かったです。
私の問題の作り方がまずかったですね。今回は、「なぜ勉強するのか分からない」と言っている生徒に対してのカウンセリングでしたから、いかにも生徒指導みたいなテーマだったわけですね。問題出してみるまで、気づきませんでした。
応答形式が指定された箇所については、応答に気を遣うぶん、かえって創造性も発揮されたのか、なるほどというような良い応答(傾聴という枠の中で、生徒の気持ちを、その人らしい理解の仕方で汲み取り、寄り添おうという応答)が割合多かったです。
逆に、自由に応答してよいです、という部分で、画一的な応答(わりと、どの人も同じ)が多かったのです。
いかにもガッコの先生らしいアドバイスしてるというか‥。
もっと自由になさってよかったんですが。
義務教育9年間、高校3年間で、「先生らしい姿」というのが刷り込まれているのかな‥とか、先生という役割に入ると人間どうしてもこういうスタンスにならざるを得ないのかなあ‥とか、少し思ったりしました。

テストは、指定した応答をできていれば、そういうところで減点はしていません。ただしあまりに説教臭い回答は、この問題全体の「充分に生徒の話を聴いてください」という状況設定に反しますので、減点しています。
そして、こういう、ある意味難しかったテーマの中でも、それぞれの人の持ち味は見えていて、きっと教員として採用された暁には、教室の窓の手すりにほお杖をつきながら、しみじみこういう話をするんだろうなと、それぞれの人の雰囲気が、思い浮かんだりしました。

2005年8月8日(月)
普段見ないものを見ました。

一昨日、昨日と、全国のスクールカウンセラーが集まる研修会が行われ、九産大にみんな来た。
こういう研修会・学会は、大学をめぐりながら開催される。開催大学の人は、運営として奉仕することになっている。
朝10:00からの講演に対して、われわれが会場整理として会場に入ることになっていたのは、8:30。そんなに早く立つ必要があるのだろうかと思いながら、8:15にホールに入ると、
もうすでにお一人、来られていた(驚)。
開演1時間45分前‥。
すごい。
私なんか、10:00開演で、開演までに20分でも時間が余っていようものなら、途中寄り道して、10:00に間に合わなくなるパターンだ。
だから、開演前の会場がどんなふうに埋まっていくかを見たのは初めてだった。
9:30には続々と人が来られ、どういうわけか、会場の、ステージに向かって左側の座席から、どんどん埋まっていった。
私たちは、「右の前側のお席が空いております」と、連呼することになった。
マイクは真ん中に立てられているのに。
不思議だねと話していたら、県内のスクールカウンセラーをされているY田女史が寄ってこられ、「だいたい、こうだもんね。どの学会でも左側から埋まるもんね」とおっしゃる。
「左側は、受ける側、受身の側なわけよ。受けとるってことは、その実、支配するということよ」とおっしゃる。その昔に実験心理学をされてたというY女史は、ためしに、ということで、私たちに、カウンターパンチを入れる真似をさせたり、口説く真似をさせたり、しながら、パンチは右からのほうが入れやすく、口説くのは左側からのほうがやりやすいということを体感させてくれた(笑)。

そんなこんなで、道案内プラスアルファの2日間を終えた。

ということで、怒涛の日々が終わり、これからやっと試験の採点に入ります。

2005年8月2日(火)
「マンガで学ぶフォーカシング入門」

http://www.seishinshobo.co.jp/40020.html
おかげさまで、早くも増刷の運びとなりました。

嘘みたい。ありがたき幸せです。

2005年8月2日(火)
静かです。

昨日が、臨床心理学科2年生「心理学研究法A」レポートの締め切り日。
それまでの私たちは、ロールシャッハのアルファベット記号だのパーセンテージの計算だのと格闘して、かなり頑張ったと思う。
ここんとこ、ひっきりなしに質問に来ていた2年生のみんなは、当然ながら、もう、ぱったり来なくなった。

夏が終わったような気がする。(まだ早いか)。

2005年7月28日(木)
愛に至る早道

4,5,6,7月と、授業の準備に追われる毎日を送り、夏休みが間近に来ると、自分にとって非日常の、知らない領域の本を読みたくなる。

というわけで、トランスパーソナル心理学という領域の本を読んでみた。
Loving Presence(ラヴィング・プレゼンス)という概念を、いいなと思った。
「ハコミセラピー」という流れ(流派)の概念だ。


セラピスト( カウンセラー)が、クライエントに、愛情を持って、一緒に居る。
それがLoving Presence。
では、どうやったらそういう状態になれるのか。
これについて、ハコミセラピーの言及は、明確だ。

セラピストがクライエントと居ると、クライエントに対して、ああ魅力的だなあ、いいなあ、と、感じる。
つまりセラピストがクライエントから癒されている。
そういう時、セラピストはクライエントを自然に、愛している。
クライエントへと「愛」がかえっていき、また流れてくる。
そういう状態で居ることが「Loving Presence」なのだという。

だからハコミセラピーでは、「まず、セラピストは、自分がクライエントから癒されなさい。」と言うんだそうだ。


よく、私たち心理士は、人から、「話を聴いているばかりで疲れませんか」と尋ねられる。
私らが「いいえそんなことありませんよ、もらうものも多いですから」。と答えても、たいていは怪訝な顔をされたり、「よほど忍耐強いのでしょうね」と言われたりする。私も「もらうもの」についてそれ以上うまく表現できなかったりして。(でも、考えていただきたい。話を聴くことがたいへんさばかりだったら、心理士達はもっと辞めているはずだ。ほとんどの心理士は、職場は変わっても、心理職を辞めるということはない。)
これからは、Loving Presenceのお話しをすれば、きっと分かっていただけそうだ。

教職3年生の教育相談の授業で、カウンセリングの態度のところを、、「 Loving Presence」という言葉でお話しすれば、分かり易かっただろうなあと思いつつ。
あの、「3分間カウンセリング(実習)」で皆さんが体験し、感想に満ちていたこと、それこそが、「Loving Presence」なのだから。
曰く、
「話に聴き入ってしまった。」
「相手の人を、すごいなあと思った。感心してしまった。」
「自分も頑張ろう、と思った。」
「僕達は友達になれると確信しました。」
「話を聴くのは意外とおもしろい、もっと知らない人の話を聞きたい」
etc、etc.、etc

大なり小なり、もう体験したことだから、「Loving Presence」という言葉の意味は、教えればたぶんすぐに分かっていただけたと思う。

参考文献:トランスパーソナル心理療法入門 諸富 祥彦 (編)

2005年7月28日(木)
連絡事項

臨床心理学科2年生の皆さん
ロールシャッハ、バウムテスト、YGのレポート提出最終期限を、7月29日(金)から8月1日(月)へと変更します。

2005年7月20日(水)
三年間,私を支えてくれました
昨日は、「教育相談」の試験問題を作った。
やっと峠が見えてきた、と思った。
忙しかった今年の前期。
しかし来年の前期は、今の授業に加えて3つの新しい授業が増えている。
果たしてやっていけるのだろうか。
来年、やっていけなければ、大学に勤め続けることはできないだろう。
そんなことを考えながら、戸棚を閉めようとしたら、ベルがつるっと‥‥。
‥で、こっぱみじん。

合掌。

よく通る、涼しい音の、ガラス細工のベル。
教育相談の授業を受けたことのある人はご存知でしょう。カウンセリング実習に使っていたあの、透明のベル。
実は、チェコ製でした。
あれがないと‥ねえ‥‥。
(カウンセリングを教える人は、実習の時間の区切りを知らせるために、お気に入りのベルもしくはキッチンタイマーを持っている人が少なからず居ます。)

担当する授業が次々入れ替わる中、教育相談はめずらしく、着任当初の三年前からずっと継続している授業だ。毎年続けていく授業は、「鮮度」を保つ必要がある。
ベルが割れて、改めて、そう思う。

この夏休みは、来年の前期のための勉強し始めておかなければ、という課題があったが、
ベル探しという課題が新たに加わった。
ぜひ見つけなければ‥
巡るぞ、雑貨屋を‥。
2005年7月8日(金)
アロマフォーカシング
今週、大学院のフォーカシングの授業は、アロマフォーカシングを試みた。
アロマオイルを試しに香って選ぶために、あらかじめアロマオイル水溶液(紙コップ5分目に、アロマオイル2滴ほどたらしたもの)を、14本のアロマオイルぶん、作ったのだが、その時点で8名中2名の院生は、香りにノックアウトされて、部屋に居れなくなった^^;。
残りの人達の中には、香りが好きな人もいて、逆にオイルを追加したりしていた。

以前にアロマフォーカシングを他所でやった時も、香りに敏感で部屋にいれなくなる人はいたので、上記の方法は改善を要するだろう。
ということで、改訂版をつくり、このホームページの「フォーカシング」のページに、「アロマフォーカシングで遊ぼう」として載せてみた。(この改訂版は、まだ、やってみていません(笑)。たぶん、ましになるでしょう。)

香りが大丈夫だった人は、アロマフォーカシングをけっこう楽しんだ。からだがよくなったり、昔の思い出を鮮やかに思い出したり、という人が多く、からだや記憶に、ダイレクトな影響が起るような印象だった。
最後に自分の選んだアロマオイルが何だったのか、種明かしをして、効能書を読んだ。
すると「アハハハ、ククシシシ、ハハハ、オホ、オホ」と笑いが止まらなくなった人がいて、それはM山先生だった。
ある男の子が選んだ「イランイラン」というオイルの効能に、「催淫」があることを発見して、よほど面白かったらしい。
院生が「先生、笑いすぎです」と突っ込んでいた。
そういうことで大笑いできるM山先生は、気が若いんだな、と思った。

2005年7月4日(月)
あと1週間、受験生生活

マニアックな話ですみません。
私の生活は現在、ほぼこれ一色です。

ロールシャッハの授業も、あと1回になった。

かなり、はしょって、プリントを作ったつもりではあるが、それでも2年生は、アルファベット記号の洪水に、死んでいる人が多いと思う。
しかし、教える私も死んでいる。
専門外なのにこの有名なテストを教えることは相当な冒険だ。
たぶん、サッカーの人が水球をしなければならないぐらいのものと思う。
学生はそれぞれ、自分のテストをスコアリングするのだから、それぞれが正しいスコアリングと解釈を得るためには、学生が個別に私に「これは、何ですか?」と聞いたとき、私がただしく答えられなければならない。
そこで私が何をするかといえば、時間があけば「ロールシャッハ・テストの学習 片口法スコアリング入門」(片口安史監修、金子書房4500円)という、問題集をひたすら解く。

これが、解くのは2回目だというのに、全問正答とはいかない。
それどころか、7割弱の正答率しかない。
自分にはロールシャッハのセンスがないものと思われる。
お陀仏。

‥とばかり思っていたが。
昨日、ぶっ続けで3時間問題集を解いていて、発見した。
全く同じ位置を、違った記号でスコアリングしてあるのを。
(73ページ21問の副領域と、85ページ13番の副領域が、異なる記号になっているのはどう考えてもおかしい。)
(62ページ76問・77問で副領域をとらず、75ページ29問ではとっているのも、おかしいと思う。)
決定因のスコアリングについては、領域のスコアリングほどはっきり間違いとはいいきれないが、どうも、同じような反応に対してある問題では○○とスコアリングし、ある問題では▽▽とスコアリングしている、という食い違いを感じる。

つまり、この問題集は、おそらく、一人で作っているのではないと思う。

そして、そもそも、この問題集は、
私が勉強し、プリントの材料にした、
「ロールシャッハ・テスト」(小野和雄著、川島書店)の本とは、Cのスコアリングの仕方においてかなりの差があるのではないか、と思われる。
同じ片口法という流派なんだけど。


うううう。
多分そう思います。
今分かりました。

「ほとんど独学」はつらい。

2年生の皆さん。自分の結果が見えてくるのも、あと少しです。もう一息がんばりましょう。

2005年6月27日(月)
サル目ヒト科ヒトデナシの立場から見たロールシャッハ

臨床心理学科2年生、心理学研究法A、後半のロールシャッハの授業、今日やっと、最後の週に配るプリントまで、作り終えた。
全部で19枚になった。

私が、心理テストの授業を担当するのは、なんか間違っているぞ^^;

自慢じゃないが、一回も、現場で性格テストしたことない。やったことあるのは、知能検査。
だって、私の主な現場経験は、電話相談だったんですから(苦笑)。テストできっこないって。

まあ、そういう私が教えるわけだから、授業は基礎的になり、そこそこ、分かり易いことにはなるかもしれない。
準備の勉強で、受験生のような今日この頃だったが、これでやっと普通になる。



それにしても。
ロールシャッハテスト。

出る出る出る。
深層が。
隠していたものが。
外界から受け止めきれていないものが。
(―と書くと、私に面接受けている人が不安になると思うので、書いてしまうと、
要は、私は「まあ、きれい」「ありがとう」なんてごくふつうの情緒的な雑談をすることが実は苦手ということですね。)
あとは、妙なところにだけ細かいとか(笑)。
かなりの、うつ傾向とか。
特に、うつ傾向に関しては、最近そんなつもりはないんだけど!!!

それだけに、基底は、変わらないのだなと、思った。
この先、何をいくら積み上げても、根本は、変わらないかもしれない。
恐るべし、人格の根底。
‥‥そんな気がした。
(2年生の皆さん。これを読んで、私のスコアを具体的に推測できた人は、S(秀)です。)

―さてここから先は、ロールシャッハ勉強する人にしか分からない愚痴ですが―
ロールシャッハ、ここがどうにかならんのかな、と思うこと。
反応内容をアルファベット記号で分類して、スコアリングしますよね。
たとえば、「C」という系統の下位分類に、「CX」「CY」「C」が、あるとしますね。(←直接書いて世間に公表することはできないので、仮の記号にしますが)
大項目の「C」を読むときも「シー」と呼び、一番下位の項目の「C」を呼ぶときも、「シー」と読みますね。
これが、初心者に教えるときに、混乱の元だ、と思うんですね〜。
「シー」というときに、どのレベルの「シー」の話をしているか、分からんでしょ。
これを、改善するために、もし、大項目のを、「C系統」とか、「C目」とかいう名前にしてくれれば‥。つまり名前で階層構造を表してくれたら、いいなあと思うんですよ。
だって、世の中、なんの分類でもそうでしょ。音楽で言えば、AとAmとAm7をまとめて単純に「Aのコード」なんて言うこと、絶対ないでしょ。
生物だって、偶蹄目ラクダ科ラクダ属ヒトコブラクダ、みたいな。階層構造でしょ。


ロールシャッハの歴史、うん十年。
誰も、こんなこと思わんのかなあ。
初心者だから思うのかなあ。

2005年6月24日(金)
今の私の悩み

今週は、東亜大学に聴講に行けなかった。
しかし行くつもりにしていたので、前もって菓子折りを買っていた。
確かに大学の、この、自分の研究室に、家から持ってきた記憶がある。
持ってきたその日から、もう所在不明になっている。
ちなみにこの部屋の鍵を持っているのは、私だけだ。
あの生菓子が、いつか、変わり果てた匂いによって見つかるのだろうか。
不安だ。
そういえば1週間前、相談室から借りてきた色鉛筆1セットも、その日のうちに無くなり今に至っている。

どうしたらいいんだろう‥。

と思っていたら、ふと思いつき、一番下の引き出しから色鉛筆が見つかった。
残るは生菓子だ。
見つかる気がしない。

もし、校内で、「二笑」という生菓子10個入を見つけた人。怪しい物じゃありませんので、食べといてください。

2005年6月16日(木)
何ですか、それは

今日の午後は、北九州市にお仕事に行った。
帰りに、快速が無かったので、鈍行に乗った。
折尾を出て、福間に至るまでの間だった。
窓から見えた。

JRの車掌さん用の信号のそばに、二つの立て札が並んでいた。
ひとつが「鹿一出」、もうひとつが「鹿二出」(縦書き)。
黄色い文字だった。
ランプなどは、ついていなくて、たんなる字だけの、立て札だった。

鹿が出そうな場所ではなかったけど‥
猪なら出るかもだけど‥

世の中にはまだまだ、知らないことがたくさんある。

2005年6月13日(月)
この本です。よろしく

マンガで学ぶフォーカシング入門は、
http://www.seishinshobo.co.jp/40020.html
ここに、目次と、第1章(はじめに)の、漫画が一ページですが、載っています。
心理学の専門書気味ですが、いちおう漫画つきですので、ご興味のある方は、よろしくお願いします。
猫きらいな人はごめんなさい^^;

たった今、F盛氏から電話があり、
「見た、見た?僕行ったよ、ジュンク堂(書店)に平立てになっとったね」「うん人文新刊コーナーにね」「ウソー、心理学コーナーだけじゃなかったんやね?あのエスカレーターの前?」「そうよ隣に小林よしのりがあったよ」「もう、もうさ、そういうの一生のうち今だけかもやん、二人で行って写真撮ろうよ」「行こうか、行こうか」
‥‥と話し合った私たちは、昔のままの、バカ丸出し。

フォーカシングは、 自分の中の「まだはっきりしない、漠然とした、からだで感じられる『かんじ』」を大事にし、そこからのメッセージを感じ取ろうと言うものだ。
体験をするとわりと、「ああ、このことか」と分かり、その後で本を読むとすらすらいけるのだが、本から入るとやたら難しそうに見えるものだ。普通に人が、前意識的(無意識の一歩手前)にやっていることを、言葉にするとえらい難しげことになるわけで。下手すると20ページも読めば退屈で死にそうになる。20年余り前にジェンドリンの訳書(「黒いフォーカシングの本」と呼ばれているもの)が出たときから、フォーカシングの分野が抱えてきた課題だ。

それをなるべく改善できないかと‥
頑張ってはみましたが‥
いかがなものでしょうか。
うちの夫(工学系)には、「漫画は面白いけどフォーカシングは難しいね。自分にはフォーカシングはできんっちゃないかね」と言われてしまった。
「でもさ、なんかようわからんけどこっちは嫌だ、こっちのほうがしっくりくる、とか思うことはあるやろ。で、こっちにしたら、やっぱりこれでよかった、そうそう、って感じがするやろ?」
「それはあるよ」

‥‥‥それがフォーカシングなんだけどねえ!!

2005年6月2日(木)
雲間

新幹線に乗って、東亜大学に、犯罪心理学の聴講に行った。
行って見ると、今日は、授業ではなくて、全学挙げての中間試験の日だった。
犯罪心理学の問題を見せていただくと、さっぱり解けなかった。
1ヶ月来なかったら、ずいぶん先へ進んでいた。
酒井先生は、すまなさそうになさった。(私が勝手に押しかけてきたのに)。
試験が終わったあと、今までの資料をくださり、20分ぐらい話をしてくださった。
少年事件について、題材に選び、授業をなさっていた。
その少年が次第に大きな犯罪にいたっていく過程は、家庭よくある葛藤、愛憎の非常に強いもの、ということで、私たちが強く共感(同一視)でき、考えさせられる部分と、最初の犯罪を犯すという、やや特殊な状況に身を置いたことでその後に出てくる特有の心理状態とで成り立っていた。


犯罪心理学が、垣間見えた気がした。

2005年6月2日(木)
バウムテストする人、必見の地

地震以来なかなか休みというものがなかった、この春。
5月31日は、ひさびさに、丸一日休みになった。
「地震及びバウムテストの授業の一人打ち上げ」と称して、一泊で、とおいところに遊びに行った。
さんざ遊んだ。
いつか、体験記に書きたいけど‥。ヒマがあるかな‥
授業ページの更新も、最近、おろそかになってるぐらいだから、なかなか、、。
ちなみに、北大の植物園、すばらしいです。
いろんなバウムがありました(笑)。

2005年5月26日(木)
窓の外

面接室の窓の外に、頭が見えて、ずっとたたずんでいるので、みてみると、芸術学部の学生が絵を描いていた。
相談の内容が聴こえてしまうので、移動してもらった。
そこで絵を描くのも権利だと、わかってはいたけれど。
これから面接室を作る大学があったら、絶対というほど、一階には、つくるべきではないと思う。
人間の動線というものは奥深いもので、通り道でなくても、かならず通る人はいる。
そういえば自分は高校の頃、10分休みになると、用もないのに教室を出て廊下、階段のあまり人通りのない所を一周歩いて教室に戻ってくるのが日課だった。棟内散歩ということで。(我ながらへんな奴)

来年建つ新しいルームは、2階というから、ほっとしている。
まだ言えないが、なんだか、すごい部屋になりそうだ。

2005年5月20日(金)
一期一会

少女苑に行った。
このごろ少女苑や少年院では、もうすぐ外の世界に戻るという頃に、被害者についての単元があるので、被害者の気持ち、ということで、お話しに行った。
数人の、ブラウス着た女の子たちが、机を並べていた。
私が授業を始めると、彼女たちはきいていて、メモを取り、疑問があったらすぐ質問をした。
たくさんの質問や、贖罪についての迷いを聞いた。
私も、率直に答えた。
彼女たちは、私が教室から去る時に、人懐っこく、何度も「さようなら、さようなら」と言った。
私も「さようなら」「さようなら」と言った。
私の中に、一人一人の思いが残った。
棟を出て明るい庭を歩きながら、「私たちは、これきり一生、会うことがないだろうな」と思った。

苑の先生は、「ここでは、衣食住が保証された生活ですし、病気になったらすぐ手当てしますからね。はじめてそういうかかわりを体験する子もいるわけで。でも、施設好きにしてしまってもいけませんから、距離を持つように気をつける部分もありますね。」とおっしゃっていた。
明るい庭のある少女苑は、少人数できちんと大人がかかわり、実技の勉強もある、ということで、行く度に、「私が思春期の頃に入ったら入ったで、充実していただろうな」などと思ってしまうぐらいだ。
でも、その子たちがここを出るとき、ずっと一緒に過ごした他の子や先生と、また会いたいと思っても、連絡先を知らせ合うことはなく、一生、会うことはないだろう。
そういう意味で、他とは違う、切ない場所のような気がする。

2005年5月13日(金)
ほんとにその日で決定ですか

本の発売日が、6月7日に決まった、と、誠信書房から連絡が来た。
聞いたとたん、「ろくなものじゃない」と、語呂合わせが頭に浮かんでしまった。
ぬおおおう。
他に語呂合わせを探しているけど、それこそ、ろくなやつが思い浮かばない^^;。
今日中に、良い語呂合わせを思い付きたい。

ちなみに、耳にしたところによると、出版業界は近年厳しく、ほとんどの場合、著者が一定量を買取りすることになるようだ。
本を出せるだけでも有難い。というところだろう。

2005年5月11日(水)
さすが30年ものだけあって。

今週教えたYG性格検査は、「授業」のページにも書いたけど、自分でやってみて、当たるなあ、というか、性格が出るなあ、と感心した。

次は「バウム」だ。

2005年5月8日(日)
表紙

共著で出す本の表紙ができてきた。
昭和初期のような、おもしろい字体で、「マンガで学ぶフォーカシング入門」と書いてあった。
プロの装丁の人はすごい。つたないイラストが、いい色と字体に囲まれて、すごくちゃんとした本に見える。

ちなみに裏表紙には、何度見ても吹き出したくなるようなF盛氏のイラストが載っていた。裏表紙を上にして、本屋に並べたいぐらいだ(←平積みされればの話(笑))。こっちが表のほうが、断然良かったと思うけど、イラストのサイズが小さかったから仕方ない。
表表紙は、、、2003年8月2日、私が東京へ遊びに行く飛行機の上空、やっつけ仕事で描いた絵だ。
もう2年経ったのだなあ。
ということで、F盛氏と私は昨夜遅く、スタバで成果を喜び合ったのだが、これは過去に精を出し、他の方の多大なご尽力をいただいて出来たものであって、今は今で頑張ってないと、2年先ぐらいに、喜べるものがないのだな、とも思った。

ともあれ、昨夜私たちは、その表紙に、励まされた。
もしかしたら表紙がつく時が、本を出す際の一番、嬉しいひとときなのかもしれない。

2005年5月6日(金)
宝物

3日間のワークショップから、かえってきた。
いずれ、このホームページの「体験記」のところに、書こうとも思ったが、ワークショップの内容が出版される予定があるとのことで、あまり詳しく書くわけにはいかない。書いたとしても、せいぜいミニ体験記になると思う。
講師はデイブ・メアーンズ先生という方だった。イギリスでは、パーソンセンタードアプローチ(いわば、カウンセリングの一流派)はたいへん人気があり、パーソンセンタードアプローチの本が一番売れ、一般の人の多くは、パーソンセンタードアプローチのカウンセラーを「選んで」カウンセリングに訪れるとのことで、驚いた。パーソンセンタードアプローチの、アメリカでの「盛り下がり」については、ここの「APA体験記」というページに書いたことがある。また、日本では、カウンセリングの流派を指定してカウンセリングを受けるということ自体が、稀だと思う。
パーソンセンタードアプローチがなぜ、イギリスで人々に親しまれているかという理由は、そのカウンセラーたちが、ずっと活動してきた上で、講演できちんと話してきた結果だとのことだった。

話された内容は、「現代のパーソンセンタードアプローチの理論」で、ロジャース(パーソンセンタードアプローチの始祖みたいな人)の言う「共感」とは違う「共感」のとらえ方・在り方ということだったが、理論聴いただけでは、実は、新鮮とは感じなかった。
「クライエントの何をどのように尊重するかについて」は、近年の、フォーカシングの理論と一致していた。
「カウンセラーが自身の深いところから反応するかのような共感の在り方」は、1989年ぐらいで私が大学生のとき、5年先輩の田村さん(当時博士後期課程在学中)が論文に書いてたのと似ていた。(ただし、田村さんの書きぶりは、控え目ではあった。)
「また、カウンセラーが自身の深いところから共感するための、基盤となる体験」についての理論は、自分自身、「こんな、誰だって、臨床しはじめた1年目から思ってるようなことを、欧米人はわざわざ言語化して新しい理論だというのか」と、そういう意味でたいへん驚いた。
私の頭の中で、6年ぐらい先輩だった大石さん(当時たぶん27才ぐらい)が、「真実は陳腐だよ」と言ってるアンニュイなポーズが、何度もよみがえった。

そうやって、ワークショップの大半の時間を過ごした2日目の夜、事例を聴いた。
すごさを知った。
それは、宝物を宝物として大事にして、何十年と磨いてきたデイブさんの、他者との出会いの在り方だった。

デイブさんが、質問はありませんかと尋ねた。
誰も言わなかった。
私は聞きたいことがあったけど、場の雰囲気から、聞くことができなかった。
村山先生が立ち上がって、デイブさんに「感動して、言葉がでない、そういう沈黙です」と説明した。
しばらく、皆が口がきけないほどになる、という事例を、はじめて聴いた。

二人の人間の、純然な、出会い。

それをダイヤだとすると、きっと私も、ダイヤを知っていたり持っていたりしたけど、それはダイヤの片鱗が見える黒い石というレベルかもしれない。
デイブさんは、宝物を発見したら、名前をつけた。
「ダイヤだよ、」「ああ、ダイヤ、きれいだな、」「これだよ、これ」と、なでさすって、何十年。

きらめくものを、見逃すな。名前をつけよ。追い続けろ。
そのことを知った3日間だった。

2005年5月2日(月)
山篭り

昨夜寝ていたら、またぐらぐらと余震があった。震度4だったとのこと。
大き目の余震は、たいてい、寝ているときに来ているから、また寝るのが難しくなる人が増えると思う。

ここはホームページを新しく訪れてくださる方が、どの用語で検索して来られたかが分かるようになっているのだが、用語が変化してきた。
今までは、トップがとげの抜き方。その次がフォーカシング。
というものだったが、
今は、「警固断層」がダントツだ。
そして「医療心理師」、「とげの抜き方」の順になった。

みんな。警固断層、不安だけど、がんばろう。
何をどうがんばったらいいか、わからんけど。

*明日から二泊三日、奈良県で行われる、ワークショップ(研修)に行ってきます。パーソンセンタードアプローチという、私たちの立場の集まりで、「共感的関与の基本的なプロセスを探求する」んだそうです。自分は、あまり、理論は、詳しくないので、この機会に行けて、ちょうどよかったかもしれません。
携帯電話等、つながらない山奥です。

2005年4月28日(木)
新幹線睡眠サイコー

今日は、授業の合間に、東亜大学の犯罪心理学を聴講に、お邪魔しに行った。
やはり、専門の人と、そうでない者とでは、どうやったって、違う。

S井先生は、大学の教員をなさる前には、少年鑑別所などを定年までお勤めになっていた方だから、経験談が豊富だった。
そして
決定的に違ったことは、話し振りだった。
16歳とか17歳とか19歳の、少年鑑別所の少年にも分かるような口調。
子ども扱いせずに、なおかつ、分かり易く。
どんな人が聴いても分かる話で、そして、どんな方向から聴いても公平な話、のように思われた。
S井先生の前に今、鑑別所の少年がいるような、そんな気がした。

来年度、なんの間違いか、私が九産大で担当する犯罪心理学は、だから、いくらこうして私が聴講に来て勉強をしてもどうもならない部分がある。

ただ、こんなふうに、基礎的なところから話していくのだな。ということが、勉強になった。
S井先生は、犯罪心理学の冒頭として、「犯罪はゴミ箱のような、『外国』って言うくくりのような、いろんなものの寄せ集めだから、犯罪とか、犯罪心理というものは、一つにくくれるものであろうはずがない」とおっしゃり、それを、資料をもとに、一から、説き起こしておられた。

S井先生にお礼を言い、坂を沢山おりて東亜大学を抜け、いつもの犬に吼えられ、いつもの猫に会い(まだ撫でさせてはくれない)、新下関駅から、新幹線に乗って、帰ってきた。
暑い日の新幹線通学は快適だった。
(断じて言うけど、これは、平成18年度に何も知らないで私の犯罪心理学を受講する学生のために、ひととおりの、授業をするためであって、ばりばり勉強して平成19年以降も犯罪心理学の授業を持とうというわけではありません。宣言。私は被害者支援心理学ですから。)

2005年4月27日(水)
人災と言える部分

疲れた。
午前中、もはや「すっぴん」で、「心のケア・ホットライン」へ出向いた。

「○○日に大きな地震が来る」という電話を、何本も受けた。
そのまま、同じ町にある、臨床心理士会の事務局に行き、5時間かかって、シフト組みと連絡をした。
陽がくれて、事務局を出て、そばの野菜屋で、みかんを買おうと並んでいると、
店のおかみさんが、他のお客に言った。
「○○日に大きな地震が来るってよ。よーく当たる占いの人が言いよったってよ」
お客「んまー」

‥割って入る気力がなかった。

不安で仕方なくて誰かに話しているなら、それならいい。
そうではなく、面白話、噂話のニュアンスだった。
「口裂け女」の話、みたいな。

「地震なんか割と平気」な人の言動が、「死にそうに不安な人」を追い込み、傷つけている、この福岡地震。

しかし、それも、仕方ないのかもしれない。
被害に際してどう考え、どう対応するかには、人の生き方の根本的な部分が出る。
そして、人と人との、埋めようがない溝が露呈する。

「福岡県臨床心理士会被害者支援担当理事」は、目の前で繰り広げられているデマを、聞いて聞かないふりをした。
西天神で、通りにくそうにしている自転車を避けてやらなかった。
駅でコンタクトを
探している人を、手伝ってやらなかった。
疲れた。

2005年4月25日(月)
今が一番、辛い時期

誰だ。

変な予言をしているのは。

「心のケア・ホットライン」に、かけてくる人、くる人が言う。
「○○日に大きな地震が来るらしい」「
警固断層に直下型の震度7の地震が来ると言われている」「スマトラ島沖の大余震を当てた占い師が、そう言ってるんです」
「噂とわかっていても怖い」。
壁が落ちたりひびが入ってる家の人達が、「今度来たら危ない」とおびえながら。

占い師は、たとえ、目の前の人が三ヶ月後に死ぬという占いが出たとしても、それをその人に告げたりは、しないはずだ。
それが、一般大衆になら、やすやすと告げる、というのか。
ここの人達に、「震度7の地震が来る」と告げることは、死を告げることと同意味なんだぞ。

福岡地震は、他地区の大地震より、死者が少なかった。
倒壊した家も、率的には少なかった。
けれど、福岡の地震の問題は、「全く予想されていなかった断層」だったということだ。
今度地震が起きた断層よりも、より、危ない断層が、他にあるということだ。
「警固断層が影響を受けて、もっとひどい地震がくるのではないか」という予期。
これがために、この大きな余震のあと数日間たっても、今まさに被害中の危機状況であるのような心身症状を抱える人を作っている。

だからせめて、
テレビや雑誌は、事実だけ、伝えてほしい。

2005年4月23日(土)
地震より怖かったかも

月曜1限に授業があると、土曜日が授業の準備でつぶれる。
土曜日夜に使えるコピー機は、図書館だけ。
図書館の閉館は21:20、コピーが終了したのは21:10。

「電動書庫1層」にあるコピー機の前から、書庫2層へ降り、そこから書庫1層へ降りる階段を探しまくり、さらに書庫一層からの出口を探しまくる。
今夜は、書庫から出れないまま鍵を閉められて一夜を過ごすのかと、一時は覚悟した。
やっと出れて、カウンター横を通るとき、職員の人から、「あれ、いたの?」という顔をされた。
やっぱ、あやうく、鍵閉められるとこだった。
あれを、迷わず、出口へ出れる人は、何人いるのだろうか。

なんで図書館の書庫は、ああいう造りなのか。謎だ。
今から帰ります。

2005年4月21日(木)
余震から一夜明けまして‥

ここは、ホームページを訪れてくださった方の、数が、分かるようになっているのですが、昨日は数がとても多かったのです。
考えられる理由は一つしかありません。
昨日明け方、福岡を襲った震度5強の余震。
おそらく、それで、どんなふうだろうかと、見に来てくださった方が多かったのではないでしょうか。
ありがとうございます。
布団ごと揺れましたが無事でした。

昨日、私はもともと地震ホットラインの当番だったので、電話受け。
多くの人が、布団に寝ている時にあったので、この先、眠れなくなることを心配している人が多いようでした。
ちなみにその間、大学は5限まで授業が休講。
教授会系統も休止。来週に順延。
チェッ。(せっかく、今週は、大手を振って会議を休める週だったのになあ。)

そしてJRが復旧「してしまった」ということで、6限からは授業再開、ということになり‥
7限目(19:30〜)の授業に行きました。
忙しかったよー。
そして今日20:51現在、まだ、地震ホットラインのシフト組みが終わりません。授業の準備もあと少し残ってたりして。
地震よ早く去ってくれー。

2005年4月18日(月)
それもこれも、医療心理師法案。

土曜日は授業の準備。‥これは想定内だからいいとして。
日曜日は,「福岡県臨床心理士会運営委員会」。医療心理士法案に対抗し、臨床心理士資格の実現化を求めようと、署名を集めることとなり、‥。会員への文書の発送作業で、朝から、17時までかかったのだった。

うえーん。日曜日の青春を返せーー!!(年を省みず言ってみる)

今日の授業、準備が間に合ってなくて穴ぼこだったじゃんかよーー(責任転嫁もしてみる)

医療心理師資格を推進する議員は73名、臨床心理士資格を推進する議員は30名。
やはり医者系は、議会に強い。
このままいくと、臨床心理士法案は確実に負ける。
「医療心理師のみ、国家資格になる」あるいは、
「医療心理
師および臨床心理士の両方が、それぞれ独立した国家資格になる」
ということになる。
後者だったら別にいいではないかと、軽く考えている人が多いと聞くが、医療心理師法案が通ったら、法案成立後の経過措置の5年間に、心理学専攻ではない学歴、職種を持つ医療系の人が大勢資格を取る。医療心理師のほうが学歴が短いぶん、給料は低くて済むから、行政(スクールカウンセラーなど)は医療心理師のほうを雇う傾向となる。よって、今、心理の職についている心理士も、職にあぶれる。現在、臨床心理学科の学生は、よけい、やばい(職がない)。というわけ。

まあ、臨床心理士資格が単独で成立してもらわないと困る、というのは、自分たちの都合ためだけに、言っているわけではないのだけど(もっと根本的な問題点は、3月14日に書いています)。
とにかく、心理の人は、政治に疎くてのんびりしている人が多いから、危機感を持ってもらうために、「自分たちも職がなくなるよ」と言ってみたりする。

これって、今年中には結果が出てるんだよね‥。どうなるのか‥。

*この日記の3月14日に書いていた「医療心理師」の資格の問題点は、その後の変化に伴い、以前のままにしておくと間違いがあったので、書き換えました。

2005年4月16日(土)
一週間終わった。

4月11日〜16日の今日までが、授業最初の一週間だった。
例年この時期は、それぞれの授業について、「どんな人達がきて、どんな雰囲気で、何人ぐらいだろう?」と、少しドキドキする。会ってみるまでは、いろんな想定をする。
この最初の一週間ですべてのクラスに会うと、「ああ、この春夏は、この人達を教えるのだな」「じゃあ、こんなふうに教えたらいいのかな」と、心が決まっていくので、少し楽になる。
ただ、今週驚いたのは、授業やる前からそれを、分かる人がいたということだ。
水曜日の昼、M山先生が、授業前に私を呼び、
「あのね、あの、修士1年の面接特論ね。今年は、文献読みじゃないほうがいいんじゃないかね。実習してもらおうか。」とおっしゃる。
修士1年の院生とM山先生の接点といえば、ちょっと一言ずつ自己紹介したぐらいなのに‥?と思いながら、私が
「じゃあ、面接特論だから、聴き方実習(傾聴の実習)ですか?」と言うと、
「それも良くないね。それやるとたぶんあの人達は型に入ってしまうよ。もっとさ、こう、自分に触れるほうのさ。自分のことをやるのがいいね。フォーカシングをやったら?」と断定なさる。
私は、必修の授業でフォーカシングのような特殊なのは、どうなんだろう、と思ったが、M山先生は「とにかくね、フォーカシングのほうがいいような気がするよ。それも、本読み抜きで、実習からね。あの人達には、その方がいいって。どうもね」。
‥‥ということで、大学院の必修の面接特論、前期は、フォーカシング実習のみ、ということになった。
そして、「フォーカシング実習だけやる」と言うと、院生は、喜んでいるようだっだ。少なくとも、嫌がっている人はいないようだった。

私は「授業の名称に内容を」合わせようとしたが、M山先生は、学生に授業の内容を合わせたのだった。
しかも、授業前にさらさらと人に会っただけで、そんな目算をつけるということは、やはりすごい、と言わざるを得ず、一生かなわない芸当だと思った。

昨日の夜は、本の校正をした。
F盛氏と私が編者となった、「マンガで学ぶフォーカシング入門」(誠信書房)。
県警にいた最後の夏は、夏休みを全部漫画書きにあてて、2人で描いた。
私ら2人を合わせて全部で15人も著者がいると、誰かが原稿を止めたり校正を止めたり自分がさぼったりしているうちに、3年の月日が経ち、やっと出版の運びとなった。
あらためて読み返すとF盛氏の漫画はすごい。私の漫画はやっと搾り出したような素人のものだけど、F盛氏のは次々と出てくる4コマ漫画に、ちゃんとオチがついている。

一緒に大学を卒業したときには、二人で本を出す日のことなんか想像してなかったし、ましてや初めて出す本が、漫画本だなんて、思っていなかった。
早ければ5月末に出版になる。

2005年4月12日(火)
面接室復活

九州産業大学臨床心理センター、地震後の工事が終了し、今日夕方、子ども用のプレイルームを大掃除。
これで、通常の活動が行えるようになった。パチパチパチパチ。

実は、この臨床心理センターが入っている5号館という建物、耐震構造ではないということで、もともと、来年、建て替え予定だった。
建て替え後は、十分な底面積を得て、リラクゼーションルームなども併設され、日本でも極めて立派で現代的な、臨床心理センターになる、予定。
予定。
予定。

この予定が継続されることを節に願う私たち。
この大学は、先の地震で、芸術学部、工学部の建物が激しくやられ。修理に、かなりのお金を使ったはずだから‥。

でもねえ。今のままじゃ、臨床心理センター、狭いのよ。
5号館、予定通り、建て替えされますように!!。

建て替えといえば、私たちにはこの3月、あらたな野望を持つようになった。
待合室をおしゃれにしたい、という野望だ。
相談室旅行で行った、奥満願寺温泉「旅館 藤もと」。温泉に入る直前の廊下脇に、図書館と名づけられた小部屋があった。
その図書館のつくりが、待合室にうってつけではないかという話になり‥。

中央にテーブルがあって、机、椅子。ここに座るのもよし。
壁に向かって、カウンターがあり、そこに座るもよし。(そこに座ると、他の人の顔を見なくていい)。←ここが一番重要。
そして、素敵な本棚と本。
セルフサービスのハーブティーなど。(←これを実現しているクリニックは、福岡県でいくつかあると聞いている。)

皆で写真を撮って帰ってきた。

私たちの野望、どのくらい、実現するかなあ。

2005年4月11日(月)
最初と最後だけ聴きました

土曜日、1年生へのガイダンスと、授業の準備を終え、昼下がり、舞鶴公園に行った。夫をつき合わせた。
花満開、人出も満員だった。
明るい陽の中、時折風が吹き、桜吹雪がみんなの肩に降った。
鈴なりの枝に顔を近づけてみると、桜の匂いが、さわやかだった。
でも、バーベキューの匂いもした。
どこへいってもバーベキューの匂い。
これはどうにかならんもんかな〜。と思うのは、私だけだろうか。
と、思っていると、ある一角に迷い込んだ。
桜がすばらしかった。
バーベキューの人はいなかった。
そこは、舞鶴公園の中にある、重要文化財の庭園だった。
バーベキュー禁止で、みんな、弁当だった。
そこでは、桜に顔を近づけなくても、庭の空気に、桜の匂いがした。
折りしも17:00閉門ということで、係の人が、門を閉めにきていた。

来年は、またあそこへいこう。
できれば、午前中の10:00ぐらいに。

陽がくれて、天神に行き、あっちこっち行って買い物した。
20:00すぎ、ストッキングを買い忘れたことに気づき、ソラリアステージに向かうと、西鉄大牟田線前のコンコースあたりから、大きな声が聞こえてきた。
二人組みのミュージシャン。
劇団の人みたいな、よく通る声。
通りすがりの7,8人の人が、すぐに足を止める。
こういう人が、プロになっていくんだろうな。
私らが「めざせ 照和,(ライブハウス)で前座」なんて言ってるけど、こんくらい声が出てないと、ぜんぜん、駄目なんだなあ。
なんて、思いながら、ソラリアステージで買い物。
戻ってくると、30人ぐらい、黒山の人だかりしていた。
ブルースハープとギターで、はでに、やっていた。
やっぱ、良さそうだから、聴いていこう。と立ち止まると、曲が終わってしまった。
「ありがとう!!また戻ってきてやりますから、よろしくお願いします!」

えーっ、もう終わりいー?

「うたいびと はね でした!」

えーーーーーーーっ!!!!

来年桜は見れるだろう。
でも、うたいびと はね のゲリラライブは、多分、見れないと思う。
ストッキング見るたびに、思い出して悔しくなりそうだ。
逃した魚は大きい!
せっかく会ったのだから、あの声の大きさと、声の感じを、よく覚えていようっと。
‥目標にするために。(←おい、年、いくつだよ。)

2005年4月8日(金)
桜、満開

今日は2年生の教務ガイダンス。
明日はもう1回、1年生の教務ガイダンス。
‥。
今週は、ガイダンスのための勉強、そして、地震ボランティアのシフト組みで精一杯だった。
月曜からの授業の準備、全くできてない(汗)。
でも明日は桜見にも行きたい。
今の状態で、桜を見て、心を動かすことができるかどうか分からないが、とりあえず、今年も、桜の枝のアーチの下を、くぐっておきたい。
桜は今しか無いからね。

2005年4月6日(水)
いま

オリエンテーション合宿から戻ってきました。‥眠い!!
しかも自分、教務委員のくせに、思いっきり履修指導間違えてるし‥。

×前期に、1年分の履修届けを済ませる。
○前期は前期のぶんだけ、履修届けをする。だから今は、前期の時間割だけ考えておけばいい。

すまん、1年生!!

4月9日(土)の2度目のオリエンテーションで、言い直します。

(だんだん、ここ、懺悔日記になってるなあ。)

年々、履修のシステムが変わってますね。英語のとり方も変わってますし。1年生の皆さん、先輩に聴いただけでは駄目ですよー。便覧をよく読みましょう。面倒だけどね。

2005年4月5日(火)
いまから

新入生オリエンテーション合宿に行ってきます。‥眠い!!

2005年4月1日(金)
無事帰福。

いや、もう、なんで、院生の運転する車は、ちょっと隣の県に行くだけなのに,
なんでカーチェイスみたいなこと
に、なるんかな‥(汗笑)
いちお、無事に帰って来れました。
奥満願寺温泉「旅館 藤もと」ナイスでした。

2005年3月30日(水)
熊本県へ。

地震で落ち着かない時期に、何ですが。
今から、九産大臨床心理センターの、平成16年度打ち上げ温泉旅行へ行ってきます。

すみませんねえ。これも仕事ですし。へへ。
ギター持って行きます。
これも仕事ですし。(どこがじゃ!)

2005年3月28日(月)
地震後の悩み

地震後、福岡市精神保健福祉センター内に設置された「心のケア・ホットライン」。.
すでに夜間・休日を、
福岡県臨床心理士会のボランティアが担当している。
あまり、詳しくは書けないが
寄せられている相談で多いなあと感じるのが、
「始終、からだが揺れている感じがする。自分がおかしいのだろうか。」という相談だ。
‥‥それなら私もあるぞ。
24時間、地面が揺れて、船の中にいるみたい。
謙虚な人はそこで「私が感じすぎなのかな」と考えるのだな。
私はそれを「余震のせい」と決め付けて、自分の感覚を疑ってなかったよ。
要は、私自身の不遜さ、ですね‥(^^;)
あと、多いのが、余震の続く家での生活の心配、介護の心配だ。確かにな‥。

2005年3月26日(土)
おかげさまで‥

こないだ九産大の学生を卒業式で送り出した時と、同じスーツを着て、ばたばたと、新幹線に乗った。
山口県に行けば、この、始終揺れている船のような地面から開放されるかな。とひそかに期待していたが、山口も福岡と同じように揺れていた。
そして、東亜大学の「学位授与式」に出席した。
博士号取得において、出版が義務となる大学もあれば、義務にならない大学もあり、東亜大学は、推奨されるけれど義務ではないらしい。
よって、私らは、論文が承認された段階で、公式に、修了したのだった。
会場には、若い「課程博士」や、私らのような社会人編入の「論文博士」、「修士」がいた。中でも、東亜大学には「通信制の修士」が多く、全部合わせて90数名の大学院卒業生がいた。
小中学校の卒業式のように、「校長先生」(学長)の前に、一人一人「学位記」を、受け取りに行った。
経営、食品、情報と、いろいろな学科が呼ばれる中、臨床の私たちも、いただいた。
ちなみに、学長の前に立つとき、左肩が上がり、右肩が下がっている人が多かった。
修士よりも、博士の人のほうに、有意にその傾向があった。
そういう人は、やや、猫背でもあった。
なぜだかは、分からなかった。
この世には、まだまだ、いっぱい、わかっていないことがあるのだな。と思った。
東亜大学には今後、時間と相談しながらではあるが、S井先生の「犯罪心理学」を聴講をさせていただきに行くことになった。
さ来年度から、臨床心理学科で私が教えることになっている犯罪心理学が、全く、私の専門ではないからだ。
だいたい、私は被害者支援心理学。犯罪心理学じゃないです。真逆でしょ。被害者の人に、「犯罪心理学に変わりました」なんて、言いにくいんだってば。いったい、なぜこんなことに‥、(言い出すときりがないからやめよう)。
決まったものは仕方がない。勉強あるのみ。
戻れないなら、前に進むのみ。
人は知らぬ間に、違う野原を歩いている。
‥時には、押し出されるようにして。

2005年3月24日(木)
影響はじわじわやってくる

福岡県臨床心理士会は、地震後、福岡市に援助活動の申し入れをしていたのが、福岡市精神保健福祉センターからその返事が来た。
「避難所では、行政の職員がすでに訪問活動を行っているので、必要ない。むしろ
心のケア・ホットラインで、行政の人が担当しにくい時間帯(夜間、土日)を、臨床心理士会に対応してほしい」とのことだった。
ということで、明日25日以降、しばらくの期間、福岡県臨床心理士会の会員の中からボランティアが出て、電話相談を担当する。
すでに、会員から、「何日の何時ならボランティア可能」といったメールが寄せられている。
私たちは昨日、壁にひびが入った事務局室で、ボランティアのシフトを組んだ。
6時間かかった。
夕方から夜にかけては、大学に戻って、面接をした。
面接室で座っていると、地面の揺れがよけいはっきり分かった。

こうやって書いている間も、
揺れる揺れる揺れる。

時々ぐらぐらっとくる。
「ずっと、船に乗っているみたい」。神戸の内藤さんが言ってたとおりだ。
まだ、ぜんぜん、終わりじゃないのだな。
被害の影響も、すぐ判明したものと、あとからじわじわ判ってくるものとがある。

九州産業大学、臨床心理センター。カウンセリングルーム3つのうち2つ破損。
明日から2週間にわたる工事。カウンセリングルーム使用禁止。
2週間も。
センター長のM山先生の研究室は、本棚のたなが落ち、散乱しているので、院生総出で片付けの手伝いに行った。
木村学部長の部屋はどうなっているのだろう。
あ、また揺れてる。

2005年3月22日(火)
明日から頑張ります。

昨日、大学に様子を見に来たが、昼間に約束があったので、ばたばたと出た。
神戸で、気功の先生をしている、内藤さんが、福岡に遊びに来てあった。
わざわざ神戸から福岡に遊びに来て、地震に遭うなんて‥。
ひそかに心配していたが、内藤さんは余裕だった。
地震の瞬間、喫茶店にいたという。
「ああ、これは、自分の限界超えてないな、と(笑)。周りの人は青ーくなってはったけどね。」
そして私を見て、「元気な人見ると幸せやなあ。前は、(身体が)冷えてはったもんな」。
そ、そうですか。(笑)
内藤さんは決然と、北天神の方向へ歩き出した。
内藤さんが、どっか、行きたい店でもあるのかな、と思って、歩きながら話した。
いよいよ港が見えてきて、内藤さんは「この辺?」と言った。
‥違うよ!!
「昼ごはんでも、って言ってはったから、どっか、連れていってくれはるのかな〜と思って。」
‥南天神のイタ飯屋かどっかにつれていくつもりだったんだよ!!
たぶん、私のからだの、つま先かなんかのわずかな動きで、北天神方面だと思ったのだろう。
まあ、でも確かに、南天神の店は、営業停止だったかもしれない。ちゃんとした店は、壁にいっぱい、ワインのビンなんか、並べてあるからね。
ということで、港で、刺身定職を食べた。
内藤さんは、中国につたわる本格的な風水に詳しい。
身体の中の気の流れも、環境の中の流れも一緒のことで、よどんでいるのは、よくないという。
「あの水槽の水のあふれ方は、いかん」と、けちをつけていた。(笑)。
港の2階のカフェは、気の通りがいいといって、お気に召したようだった。
実際、気持ちがよかった。
3時ごろ、別れた。
その後、本屋で資料を物色して帰宅した。

今朝、起きてパソコンをつけると、「福岡県臨床心理士会会員掲示板」に、地震の避難所における緊急支援の人員募集が出てた。
U田会長の書き込みだった。
教育関係の、H先生がコーディネーターになられるという。
‥‥。
私は、実は、「福岡県臨床心理士会運営委員会被害者支援担当」だ。
肩書的には、本来、私が、何か動かなければいけなかったのでは‥‥。
まずは寝床、食事、健康、それから心のケアだろうと、たかをくくっていた。
こんなに早く動くのか。
というのもあるし、
私のような小兵が、動こうとしても、市や県に知り合いがいないし‥というのも正直、あったのだった。
昨日、職場に行ったのに、自分のホームページに書き込みしただけで、メールは見ていない。
それどころか、この日記に思いっきり書いている。
「VOICEのライブに行った」「結婚式に出た」。これは、地震前だからいいとして。
「地震当日、Something ELseのライブに行った」。
‥‥これは、まずい、まずいんじゃないか!!?

地震のあと、酒を飲んでいたということで、進退問題になっている福岡市の助役。
私は、あの人の気持ちがよく分かる。
地震みたいなののあとには、なるべく、ことさらに、自分の平常の、生活を送ってみたくなるものだ。

とにかく、明日から、何らかの、被害者支援に入ることになるだろう。

2005年3月21日(月)
地震の爪あと

今日は春分の日だけど、気になって職場に出てきてみた。
なんせ、福岡市東区震度6弱だ。
しかも、私のいる棟は、耐震構造になっていなくて、近々立て換わるという棟だ。

おそるおそる開けると、一階を支えている柱にひびが入り、かべが崩れ落ちていた。
お〜こわ。
倒れているごみばこ、消火器。
自分の研究室を開ける。
ポット、無事。パソコン、無事。本、無事じゃない。でもおおごとではない。割れて飛び散った時計。
以上。
このくらいで済んでよかった!!。

さて、自分のところが無事となると、気になることが出てきた。
おそらく、この学部の過半数の教員が、心配していると思う。
「古文書の森」として名高い、木村学部長の部屋。
ふだんから、木村先生の机にたどり着くには、獣道を通らないといけないのだから、こんな地震では、きっと、‥。
そもそも、ドアが開かないんじゃないだろうか。

2005年3月21日(月)
腰パンの君

日曜日の朝、パソコンをつけたら、揺れがきた。
ダンボールがいっぱい落ち、次いで本も落ちた。
寝室に逃げようとしたけど、廊下を歩けなかった。
あとで、震度6弱だったと、知った。
さすがに怖かった。
家の中がむちゃくちゃになったけど、もとからある程度散らかっていたので、
悲観的にはならずに済んだ。

地下鉄をはじめとした交通機関が止まった。
なので、偵察がてら、チャリで、ライブに行った(笑)。
チャリをこぎにくかったのは、慣れないチャリを夫から借りたせいか、はたまた余震のせいか、分からなかった。
神社で行われた、Something ELseのライブ。
この人達のライブの場合、うっかりライブハウスのに行ってしまうと、自分の運動音痴が露呈する。

ある曲がくると、みな一斉に縦に揺れ始め、そして、きっちり4拍目にジャンプするからだ。
ジャンプは勘弁してほしい!
というか、若い人達はなぜ音楽を聴きながら、わざわざ運動するのだろう。
神社ではそういう事がないので、安心だ。
しかもアンプラグドで、ラッキーだ。

地震で遅れてきた人に配慮して、15分遅れでライブが始まった。
パステルカラーのハーモニー。きれい、きれい。(^0^)
ほこりっぽい道、陽に焼けた草原。(^0^)
右の人のギターがうますぎる。
気を確かに持っていないと、ギターばかり見てしまう。
すごい。
チャッ、と振り下ろす一音が、もう違う。
ダンスの大御所がちょっと軽くステップを踏んだ時、みたいな、余裕の上手さ!!!!。
ヴォーカルの人の声は、アンプラグドより、ちゃんとマイク通して聴いたほうがいいかも。
アンプラグドだと、声を大きく、ってことが第一になるから、響きがこまかくは分からない。マイクで聴いたときは、この人の声は、表面がつやつやしてて、中身は芯がなくて空洞で、その真ん中に風が通っていて、風が涼しくなったり暖かくなったりするという、不思議な、聞き飽きない声だった。
それと、気になったのは、なぜかヴォーカルの音程が時々、低めだということだ。
「ジャスト」か「ほんのわずか低め」の音程で歌う。
あれを、「ジャストか、ほんのわずか高め」で歌ってくれたら、もっと明るく聴こえるんじゃないかな(←少なくとも、吹奏楽ではそうする。)
そうするともっともっとメジャーになったりして‥。
彼は、音程が取れないはずはあるまい。
音程を時々ちょっと低めで歌うのが好みなのだろう。
「プチ腰パン」みたいな。
なにはともあれ、きれいなライブだった。
地震で一人、また一人と遅れて来ていたので、3曲も余分に歌ってくれた。
隣の席の人の友達は、熊本から来るバスの中にまだ居るということで、ついに間に合わなかった。

陽がとっぷり暮れた帰りのチャリは、寒かった。
傍目には、あまり街は、変わっていないように見えた。

2005年3月21日(月)
地球の裏から見る地球

このホームページの、「体験記」のところに載せているVOICEのライブに行き、数日が経った。
40過ぎの人の声は、「吹き込んで吹き込んで自由に鳴るようになった管楽器」みたいだった。
自分とは遠い人生の人が、やはり自分とはかけ離れたドラマを歌っていくのを聴くうちに、「自分に見れない世界は、こういう人達に任せて、見せてもらったらいいんだな」、と思った。
自分が足の裏で、歌ってる人達は手の指先だとすると、足の裏に見えない世界があったら、手の指に見てきてもらえばいい、というような。
「支えられて自分があります」というよりも、「みんなが大きな一つの何かを作っている」というような。
そんなふうに世の中は成り立っているんだな。

たとえばもしある人が、かかとの部位を担当していて、人生がきついなあと思っていたとしても、それは、全体の大きなものが、しばらく立ってなきゃいけない時期だから、かかとがじんじんしている、っていうだけだ。
かかとがじんじんしてる時に、内臓や頭は楽なのであって。
また姿勢を変えると、他のところがじんじんするのであって。
かかとには、かかとにしか見えないものと、巡り合わせと、その役割があるのであって‥。

そうこうしているうちに日が経ち、土曜日、後輩の結婚式だった。
すごく似合うウエディングドレスを着ていた。
パーティーも、凝っていた。なるべく多くの人の声を聴きたかったのだろう、いっぱい、テーブルスピーチをさせていた。
さすが30代の花嫁は違う。
ゆくゆくは、ブラジル国籍の新郎についていって、ブラジルに住むという。
地球のこっち側も知った上で、裏側に行く。彼女の人生からは、どんな世界が見えるのだろう。

私と、同級生のF盛氏は、歌を歌った。
「歌は歌手にまかせておけばいい」などと言いながら、それなりに練習を積んだ私たち。
新婦は、歌詞を見入りながら、かなり笑ってくれていた。
新郎に会ったことなかったにしては、我ながら、詞については、新郎の感じが出ていたと思う。
もうちょっと、歌がうまければな〜。練習だよな〜。
F盛氏は、別の余興を見ながら、「うちらも、ヴィジュアルに凝らんといけんね」と言った。
あっ、君も、またどこかで次をやろうとしているね。(笑)

2005年3月18日(金)
今日はたくさんの人に会いました。

今日は、卒業式だった。
卒業生たちに、書類や記念品を渡した。
福岡に残る人もいれば、隣の佐賀等にいく人もいれば、赴任先が決まってない人もいれば、日本全国一周の旅に出ますという人もいた。
式が終わると、私は、いろいろな人のカメラのシャッターを押し、また、いろいろな人の写真に収まった。
経済の学生たちに「これから謝恩会か何かあるの?」と聞くと、「ないです。さっぱりしてますね」と言っていた。
ドアの外に、スーツや、振袖の後姿が消えていくとき、「これで、お別れなんだな。」と思った。
そうしてすべての学生を見送って、式の部屋を出ると、さっき別れた学生達がダベッてた(笑)。
この別れは、そういうものであってほしい。
また、いつでも再会できる、というような。

昼からは相談の仕事だったので、昼食を買いに大学を出て、信号が替わるのを待っていると、「こんにちは」と、声をかけられた。
黒系のスーツに、シャツ、ネクタイ。九産大によく居るような、大柄な若者だ。
私が、「こんにちは。今日は、これから何もないの?」
と聞くと、
若者「いえ、、、。僕、職員です」

‥‥まずい!まずいぞ!!!
しかもこの人とは、何度かバス停で会い、お互い親しげに、挨拶を交わしたことさえあるではないか。

私「ご、ごめんなさい、よく似た学生がいたもので‥‥!!!」
若者「いえ〜(苦笑)」

若者はコンビニに入り、私は、コンビニに入るのをやめて、隣の焼きそば屋に入った。
入試課かどこかの人だったと思うけど‥‥。

というか、今日の学生達は貫禄があったなあ。
もう社会人みたいだった。
卒業した、という達成感が、あったからかな。

2005年3月14日(月)
ごちゃまぜの週末

週末、まず、久ーしぶりの友達と落ち合った。
彼女は言った。

「もう若くないけんさ。寄せて上げる下着とか着けて、寄せとっても、ぼよ〜んって、すぐ戻ろうが。ぼよ〜んって。やけん、やめたよ。」
やっぱりそうか。
私の矯正下着で目だった効果がないのは、年のせいだったか。
うちの事務の人が同じ下着で4サイズもアップしたというのは、やっぱり、若いせいだろうな。
(私も、ヌード寸法においてワンサイズはアップしたことを、一応下着屋の名誉のために
申し述べておく)。
年か。
ワハハハ。
なんて話をしていたら、電車を思い切り乗り過ごし、二人してぜんぜん予想外の駅に着いてしまった。
慌てて引き返し、他の人を30分も待たせた。
集まって、懐かしがった。
ギターをザラザラ弾き、他の人の唄も聴いた。
さんざ遊んだ。
夜になり、あの人この人と別れ、最後に自分ひとりになって別の乗り物に乗り継ごうとしたら、後ろから肩を叩かれた。
福岡県臨床心理士会のU田会長だった。
ひえ〜。誰にも内緒で遊んで帰ってこようと思っていたのに。
「僕、あなたの、後ろの後ろの席にいたんよ」そういってU田会長は、アゴをちょっと上向けて、ニコニコなさり、
「今日は、なん(の仕事)?」
週末に仕事してる奴を他にも見つけたぞ、というような、仲間オーラが出てた。
「いえ、あの、友達の家に、私は全くの遊びで。」申し訳ない。
U田会長の方は、東京での「資格問題の緊急会議」から帰ってこられたところだった。
「どうでしたか?」
「いやあー、厳しいねえ。」
U田会長とは、ここで別れた。

なんで私が、春休みの週末に遊ぶのも気が引けるようなことになっているかと言えば、臨床心理にかかわる国家資格の問題が急浮上していて、臨床心理士会全体が忙しくなっているからだった。
臨床心理士という資格は、現在、国家資格ではない。
(財)臨床心理士資格認定協会が認定する資格だが、大学院修士卒でないと受験できず、ハードルは高い。
この資格取得のための大学院が、全国で百以上存在し、ここを目指して大学生は勉強してくる。
しかし、これとは別に、「医療心理師」という資格を作ろうという動きが、医者サイドで存在し、今年ついに、医者でありかつ議員であるような議員が中心となり、自民、公明、民主の3党が2月16日、「医療心理師」(仮称)国家資格創設の方向で合意、早速超党派の議員連盟が発足。早ければ今国会中に議員立法で法案提出という。

「心のケアを担う心理士の国家資格が無いので、作りましょう」
このコンセプト自体を、問題と感じる人は、あまりいないと思う。。
問題はその中身だ。例えば、
医療心理師は「四年生大学」の学歴を資格の対象とすることとなっている。
一般の議員、一般の人は、一見、「まあ、四年生大学卒なら、ありえるんじゃないの」と言うだろう。ただ、臨床心理士の立場から見たら、その習得期間では短すぎる。
さらに、こういう資格には必ず「経過措置」というものがある。実際、医療心理師法案には以下の規定がある。「医療心理師が行うこととなるような業務を現在行っている者の受験資格について、この法律の施行後5年間、所要の経過措置を設けること」。つまり、これから先5年は、心理の大学卒じゃなくても、医療心理師のような仕事をしている人は、大学に行ったり国家資格試験を受けなくても、医療心理師になれるという意味だ。
そしてその実、法案で「医療心理師の仕事」として規定されている「心理相談及び心理観察」は、現在、看護師や作業療法士など、他の職種の人もやっている業務だ。
よって、医療心理師が国家資格になると、その後5年間で、心理の専門知識が(私たちから見ると)それほどない人、というか、「心理とは別種類の専門的知識や態度」を持った人が、いっせいに、医療心理師になることが予想される。
この法案には、ほかにも、教育畑など医療以外の心理援助活動も医者の監督下におかれてしまいかねないという、根本的な問題がある。

臨床心理分野、はじまって以来の、大きな危機。
それは、国民のこころの危機。
国家資格ができる→国民は信頼する→信頼に足る業務ができない→とりかえしがつかないこと。
なんせ、こころのことだ。
私たちが若い院生のころから地味な身なりになって修行し、自分は向いているのだろうかと悩み、一言一言を選び、ある程度の年齢になっても、果たしてお役に立てているだろうかと自分に問う、「慢心したらそこで終わり」の職業。
こんなに難しい仕事の、資格を、さらっと取れる世の中になる。その発想自体に違和感がある。
臨床心理士が各地で動き始めている。
議員訪問。
資格法案(「臨床心理士法」)創設への賛成署名への動き。
大学によっては、大学院生まで、メールで、議員に意見書を出している。

私も、何かしなければ、いけない。
いずれ、ちゃんと、どこかに書かねばと思う。

2005年3月8日(火)
日曜日の学校

昨日月曜日は、相談関係の仕事のために、九州大学へ行った。
一昨日の日曜日は、その、同じキャンパスに、ギターケースを抱えて行った。
九大のF盛氏と、披露宴の余興の練習だった。
私の自作の歌は、F盛氏に、気に入ってもらえたようで、これを二人で歌うことになった。
そしてF盛氏は即興でMCを考えた。
一曲しか歌わないのにMCをするって^^;‥と思うが、おそらく新婦は、演奏よりもF盛氏のMCに期待している。
誰もいない校舎の一角で、MCの練習をし、ピープーピーポーとオカリナを吹き、決して上手とは言えない歌を二人で唸っているとき、(学校の怪談は、このような時に作られるのだろうな)と思った。
楽しかった。

今回歌を作ってみて思ったのは、
「よくシンガーソングライターの人は歌詞を間違えないで歌えるもんだな」ということだ。
論文を何度も何度もこまかい部分で書き直すように、歌詞を何度も書き直す。
そして、バージョン10だの、バージョン11だのができる。
最新バージョンが一番いいとは思っているけど、バージョン10もバージョン9も、それが最善だと思った時期があるわけで。
だから、いざ歌うとなると、バージョン9だの、バージョン7だの、バージョン2が口をついて出る。
なかなか難しい。
今度と言う今度は、歌手を尊敬した。
とりあえず、もう、これ以降、絶対替えないぞ!!!と誓う私。
「もう替えない」と区切るために、歌詞をホームページに載っけた。

そして、「もう、本腰を入れる」ということのために、この日記を書いた。
そろそろ、来学期の授業の準備をしないと‥。

2005年3月3日(木)
ついでに、本当の名前も知りたい

九産大の人なら知っていると思う。
学校の近所で飼われていて、よく大学をうろうろしている猫を。
なにがして欲しいのか、よく「にゃーーー」と大きな声で鳴いている。
そして時々、学生に撫でてもらっている。
もちろん私も撫でたことがある。

黒くて、4本の足と、ひげが白い。
私は勝手に「ソックス」と呼んでいる。
そのソックスが、遮断機の降りた踏み切りの中にいた。
鳴り響く音を気にも留めず、うろうろしていた。
いよいよ電車が来そうになると、ささと、踏み切りのこっち側にきて、茂みに消えた。
そして電車が通り過ぎると、
踏み切りの向こう側50メートルぐらいのところ、道の真ん中に、悠然とソックスが座っていた。
心なしか、さっきのソックスよりも太っているようだった。
赤い首輪をつけていた。

皆さん!!。ソックスは2匹います。たぶん。

猫に関心がない人には、全く興味がないことでしょうが‥。

2005年2月28日(月)
不食という世界

ベジタリアン生活、2ヶ月が過ぎ、メニューがだんたんと尽きてきて、
もうそろそろ、最初の頃に作ったものが食卓に出てくる。メニュー一巡だ。
そう夫に言うと、「魚だけでも復活せんと?」と言う。
肉、魚を摂らなくなっている私は、肉や魚に対する身体の拒絶感が出てきているが、夫は昼に学食で、肉、魚類を避けることが難しいので、そういう身体的拒絶感がないのだ。
私が「週に1回、魚の日を作ろうか」と言うと、
夫「え〜、週に1回(だけ)?」と言った。
^^;)
というわけで、
今まで「野菜、卵、乳製品」(ちなみにこの食生活には、「ラクトオボベジタリアン」という名前がある)。
これからは「野菜、卵、乳製品、魚」ということになった(この食生活には名前がないようだ。)。
まあ、オールモストベジタリアンと言うことにしておこう。
やや不本意ながら、「かなぎ」の干物を買って帰った。

いっそ、もっと割り切ってヴィーガン(野菜のみの食生活)まで行くと、メニューがマンネリ化するという感じは、ないのかもしれない。野菜はいくらでも種類がある。
ラクトオボベジタリアンだと、主菜に「卵、乳製品」、(うちの場合はそれに加えて大豆製品の缶詰)、を繰り返し出してしまったので、マンネリという感じがしたのだろう。
短かった「ラクトオボベジタリアン」生活だが、いろいろな体感が知れてよかった。
「オールモストベジタリアン」はどんな体感になるのだろうか。
ちなみに、
http://www.taka45.com/fushoku/joachim/Breatharian..html
↑ここが、面白かった。
ベジタリアンの中でもいろいろあり、食べないで生きていこうという段階がありえるようだ。

2005年2月24日(木)
待合室の本

昨日は、整備局という、河川の管理をしている機関でカウンセリングの授業をさせていただいた。
その後、九産大の臨床心理センターの、待合室の書籍を買い足しにいった。
新たに3万円の予算をいただいている。
待合室に置く本というのは、どういうものがいいのだろうか。
カウンセリングが始まる前の5分、10分のあいだに読み、どこで時間がきても、「切が悪すぎる」ということがないような本。
主張が強すぎない本。
癒される本。

ということでまず絵本を10冊買った。
絵本は、大人でも興味がある方は、手に取って読まれるだろう。
でもこれだけではいけない。
臨床心理センターが主として子どもさん対象だと思われてしまう。
大人の女性でも、男性でも場違いだと感じないような、待合室の本の背表紙の並び‥。
ということで、空や道のいくつか写真集を買った。

お陰で普段、見ないような本も見た。
出色だったのが、「水からの伝言―世界初!!水の氷結結晶写真集」(江本勝) だ。
水を凍らせ、顕微鏡で観察、写真撮影をしたものだ。
水に見せる言葉や聞かせる音楽、宗教によって、形がいろいろと違ってくるという。
まあ、どの程度、一定の手法でなされたことがが分からないから、誰か理系の人が検証してくれないかなあと思うが、「ほんとうに、水が変化するんだたら楽しいなあ」と思うし、インパクトのあるメッセージだと思う。
現時点でそれが証明されようが、されまいが、そもそも水の結晶写真はきれいだ。
買った。

明日、たくさんの本が待合室に届く。

2005年2月21日(月)
寒い寒い寒い

今日、来るとき、傘の上に雪が積もった。
寒いから、帰りたくない。もうちょっとしてから帰ろう。

2005年2月18日(金)
My Honey, Felt  Sense(2)

うちのタンスの下から6番目の引き出しを開け、そこにマイクを置くと、ちょうど顔の位置にくる。

♪あなたが おしゃべりな日でも 無口な日でも‥♪

あきらめきれず、録音に再挑戦した。
間違わずに歌うってことだけで難しい。
何度も何度も試み、そして、聴き直す。
やっぱり下手すぎる!!!(呆)。
自分の下手な歌を聴いていると、だんだん可笑しくなってくる。
情けないを通り越して、楽しい気持ちになってくる。
挑戦して、自分のレベルをはっきり知るというのはいいことだ。
そこを軽々と超えている人達を、心から尊敬できる。

新婦がF盛氏と私に余興をもちかけたのは、
そもそも、歌を期待してたわけではないはずだ。
オカリナで出るものとばかり思っているだろう。
なんで歌なんか歌おうってことになったかな。
そうそう、このごろオカリナ向きの結婚式ソングがないからだよ。
もう何回も私たちは「らいおんハート」ばっかりやってる。
1年に1回は、ベタな結婚式ソングが流行ってもらわないと、困るんだよ〜。
ラップじゃなくて、普通の曲でさ〜〜。

2005年2月17日(木)
MY HONEY, FELT  SENSE

♪あなたが おしゃべりな日でも 無口な日でも
あなたが恥ずかしがっちゃって 出てこなくても
私はぜんぜん構わないのよ♪

結婚式の余興のために、初めて作詞作曲というものをした。
アップテンポのラブソングだ。
聴く人が聴くと、フォーカシングの曲でもある。
そういう意味でも、なかなかいい出来ではないかと思う。
帰宅した夫を捕獲して聞かせる。
夫「サムエル(サムシングエルス)風やね」。
そう言われたらそうかもしれない。
一緒に歌うF盛氏に曲を覚えてもらうために、デモテープを作った。
そして、あきらめた。
自分、歌が下手すぎる(悲)。
2人の掛け合いで歌う曲だから、F盛氏一人では、息が苦しい。
この曲、蔵に入るかもしれない。

誰かフォーカシング界隈の人、ご自分の結婚式なんかで、歌ってくれないかなあ。

2005年2月10日(木)
博士論文公聴会

東亜大学へ行き、公聴会に臨んだ。
修士論文、課程博士論文と、スーツに身をつつんだ若い人たちの発表が続き、私には15:00ごろ順番が回ってきた。
名前を呼ばれて前へ行くと、黒板の横に、1メートル以上あろうかという長い指示棒があったので、これ幸いと、使わせていただくことにした。
パワーポイントのスクリーンを、指示棒で指しながら発表した。
はじまって3分ごろ、ちょっとウケた。
気をよくしてしゃべっていると、ふと、自分の手が後ろに行っていた。
その長〜〜い指示棒でもって、首のうしろをトントンと叩いていたのだった。
中学校あたりの数学の先生が、だらしなく立って、定規で肩を叩く、あの動きだ。
気がついたら足を開き体も斜めを向いている。
いかん。
論文公聴会としてはまず考えられない不遜な態度。
自分の中で「−30」という点数が点灯する。
でもくよくよしてはいられない。性格が露呈したといえばそれまでだ。早口でも持ち時間を3分オーバーする分量、飛ばすしかない。すると、こんどは手がすべり、指示棒が、「グァラグァラグァシャーン」と、すごい金属音を立てる。「−15」。すぐに拾う。止まるわけにはいかない。そんなときこそまた、手がすべる。「グワシャシャシャーン」。大御所のおじいちゃん先生たちの心臓がびっくりするさまが想像できる。ごめんなさい。「−20」。止まるわけにはいかない。ひたすらしゃべる、しゃべる。
そして4分オーバーで発表を終えた。
2人の副査の先生方がコメントをおっしゃる、その紳士な物腰。
心理士とはいえ、あり得ない紳士ぶりだ。
先生方と自分を比べてみると、こしあんとつぶあんほど違う。
学者というものは、昔は、教養人を兼ねていたのだろう。なんとなくそう思った。
冷や汗の1時間が終わり、そそくさと壇から降りると、主査であり恩師であるM山先生が、「良かったよ、クククシシ(笑)」と、屈託なく笑われた。
先生の、せんべいを2枚重ねて食べても大丈夫そうな歯を見て、私は少しほっとした。
M山先生は、私が指示棒で肩を叩いたことにお気づきでなかったのだろうと思われた。

それにしても、なぜ人は長い棒を持つと、肩も凝ってないのに、トントンと叩いてしまうのだろう。

この公聴会で自分が具体的にどんな評価をされたのかは分からないが、とりあえず先へは進むことができたようで、「要旨」を書いて提出するようにとのことだった。
それをこなすと、次の課題を教えてもらえるのだろう。それをこなすとまた次の課題が分かる。そして話によると、最後には「出版」があるらしい。
博士論文はオリエンテーリングに似ていると思う。

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