森川研究室ホームページ
気まぐれ日記
2005年2月8日(火)
くろちゃんが来た

もう一匹の棟猫、くろちゃんが家に遊びにきた。
ご想像のとおり、黒猫だ。
前に書いたじろーちゃんよりも後に、マンションに住み着くようになった。

なでようとすると、最初はびくっとして避ける。少し撫でられていると、グルグルと言う。
一言も鳴かず、探索して周り、えさを食べ、寄ってきて少し撫でられ、私のコートの上で静かに過ごす。その繰り返し。
居ることを忘れるぐらい、静かな猫だった。

いろんな性格の猫がいる。

2005年2月7日(月)
長くなったので

日記を2ページに分けま〜す。
新しく遊びにいらしてくださった方、よかったら過去の日記のページにも遊びにいらしてください。
‥と言いたいのだけど、やり方が分からないので、今度にします。

2005年2月1日(火)
数字

そろそろ、きちんと数字にしないといけない頃だ。
博士論文公聴会まであと何日あるのか。
準備に取れる時間は、何時間あるのか。
はっきりさせるのがおそろしい。
このまま行くと、間に合わないかもしれない。
新たな相談を、「じゃあ明日」「じゃあ5日後に」とひき受ける。
ただでさえそういう、予定が立たない仕事で、まあそれが仕事だからそっちはそれでいいのだが、
会議や入試の試験監督が「今週の木曜日に」「金曜日に」などと、容赦なく急に入るのが困る。
こないだはセンター入試の監督だったのに‥。
一週間の予定が立てられない人間が、将来の計画を立てられるはずが無い。
だいたい私は何をしたいのだろう。
何をどうコントロールしたいのだろう。
将来なにをしたいのだろう。
ブルーな気持ちになっていると、夜の9時ごろ電話がかかってきた。
「□□です!」と名前だけ言う。空気が弾んでいる。
試しに「あ〜久しぶりね〜」と言ってみたら、彼は「先生は今何をしていますか」と言った。□□くんだ。自閉症児と一緒に遊ぶという私たちのボランティアサークルに、毎週遊びにきてくれていた彼は、当時小学生で半ズボンだった。10年以上ぶりだ。
「先生は30歳超えましたね。いつ結婚しましたか。なぜ結婚しましたか。お母さんになりましたか。お母さんになる予定はありますか。」と、彼は自分の聞きたいことを聞いた。私の答えに曖昧な部分があっても、それが今の私からの答えであれば、彼はとりあえずOKなようだった。彼自身のことを尋ねると、会社に行っていてスポーツもしている、と話した。そして「あ〜久しぶりで嬉しいです!」と感想を言った。私は、彼が感想を言うようになったことに彼の成長を感じた。
彼はさらに、「☆☆くんと○○くんがいましたね」と同窓生の男の子たちの名前を挙げ、「先生では▽▽さんと△△さんがいましたね」と、私の先輩の女性たちの名前を挙げた。
私が「あ〜いたね〜、今どうしているかねえ」と言うと、彼は即座に
「はい、40才過ぎてます」と答えた。
それはそうに違いない。
それ以上ない、明快な答えだ。
その一言で、しっかり者の女の先輩たちが、40才になっているところが想像できた。
彼女たちが今何をしているかは分からないが、中身はあまり変わらず、さらにしっかりしているのだろうということが想像できた。
彼と話していたらなんだか楽しい気分になってきた。
彼と言う鏡に私を照らしてみると、もし私が博士論文を今年落としたとしても、何ら問題はないように思えた。
私たちは10分ぐらい話して電話を置いた。
彼はこれからきっと他の人に電話をかけて、森川は今36歳だと、言っていくに違いない。
そしてそれが、私の現状についての一番明快な定義のような気がした。

2005年1月26日(水)
終わりました

心理学の試験の採点が終わりました。
満点が一人いました。満点に近い人が何人かいました。
出席1回を3点とかぞえて試験の点数に加算し、評価をつけます。
面白解答に笑わせていただきました。時間ができたら、珍答名答をそのうち、授業のページに載せるかもしれません。時間との相談ですが。載せられたくない人はご一報ください。(いずれにせよ、名前はもちろん載せませんし、個人が特定される内容で友達から「あいつが書いたな」と分かられるようなものは載せません)

2005年1月25日(火)
時効

今日は、火曜日なので、保健所の3歳児検診で、発達検査をした。
去年の今日、つまり1月25日は日曜日だった。
祖母の誕生日だった。

夕方、中州で研究会を終え、和菓子か何か買って実家に持っていこうかと思ったが、その日は、どうにも体がきつかった。
雪のちらつく、とても寒い日だった。

祖母は寂しがる人ではなく、どこかできっとそんな私の様子を知ったら、そっけなく「もう、よか、よか、来んでよか」と言いそうだった。なので、実家には行かなかった。
その夜、祖母は急死した。
通夜、葬式と過ごしていると、母の従姉が「女が大学行くような時代じゃなかったから、反対されたけど、おばさんが応援してくれて、うちのお父さんに言ってくれたから、私は大学に行けたんよ」と泣いた。
私は、祖母にそんなはっきり意見を言うような一面があったのかと意外に思った。
別の、母の従妹が言うには、「おばさんはね、あなたのお母さんが小さいときに、おしゃれさせて、手を引いて、音楽会に連れていきよったよ。あの時代に、少ない女のお給料でね。ハイカラやったよね」。
私は、祖母のハイカラなおばちゃん時代を知った。
精進明けの料理を食べていると、今度はいろんなおじさん達が、「あんたが産まれたときに、あんたの婆ちゃん母ちゃんは、どっちが仕事を辞めてあんたの面倒を見るかで、えらいもめよったなー。結局、婆ちゃんが折れて、しぶしぶ家に入りよったがなアハハ。」
私は、あのおとなしい婆さんが、家にいるよりも外で働き続けたかったのかと驚き、やはり人間というのは聞いてみないと分からないものだなと思った。
そこに祖母の弟が来て「姉ちゃんが結婚する前たい、二階の窓に座って下向いとったのを今でも思い出すねえ。お嫁に行きたくないっていうのを、行かんわけにはいかんとぞって、説得されよったたい」。
話がここに至っては、死んだとたんにこう一気に暴露されるのかと、少し可笑しくなってきた。
急速に増えていく情報量に、私は、祖母が死んで悲しいというよりも先に、祖母という豊かな人にはじめて会ったような気がした。

葬式となると、周りは、その人が生きている時には表に出せなかったことを語り合うものなのだろう。
これから自分が何年生きるか分からないが、葬式に出続けては秘密を聞くだろう。そして自分が死ぬときには、心の中が、他人の秘密つまり他人の人生でいっぱいになっているだろう。
それが、豊かな死ということかもしれない。

今年の1月25日は、暖かかった。

2005年1月19日(水)
ベジタリアンレシピ

アスパラガス。
ゆで卵を適当に切ったもの。

クリームチーズを適当にちぎったもの。
これに、オリーブオイル+黒こしょう+塩(普通のサラダより多めに塩を利かせる)をかけて、まぜる。

これは絶対にお勧め。黄金の相性だ。

昨夜は、これと、トマトソースの野菜パスタを作った。

2ヶ月ほどになるベジタリアン生活、実は、
じわじわと、予想外のことになってきた。
肉を見ると今までの習性で「おいしそう」とか思うし、外食などで出てくれば口にするのだが、食べてみると、「これは飲み込みたくない」と感じる。
魚は、食べ過ぎなければさほど苦痛ではない。
思うに肉は、勢いが強いものであって、ずっと食べていないと、食べにくくなるものなのだろう。
昼に学食で肉食をしている夫でさえも、「夜に肉を食うと腹を壊す」と言うようになった。厳密に言うと、今までは「腹を壊しても平気だった」らしいから、「腹を壊すということが気になるようになった」と言いかえるべきであろう。
そういうえばアーユルヴェーダでは牛や豚(そしてなぜかレンコンも)を夜には食べるものではないと書いてあった。

軽い気持ちで始めたベジタリアンだが、「肉を食べなければ健康」「食べればたちどころに不健康」、、
要するに、私たちはもう、後戻りできなくなってしまった。
肉を食べなければ、体は楽だ。

2005年1月15日(土)
しっかりやらなアカンらしい今日このごろ

博士論文の主査でもある、恩師のM山先生からお電話があった。
「アンタも忙しいのによく書いたな。会議で、アンタの博士論文を、東亜大学で審査するって承認が取れたから。良かった良かった。次は2月の公聴会だからな。これはしっかりやらんとアカンよ。40分発表、20分質疑だからね。パワーポイントか何かでね。みんな見てるからね。しっかりやらなアカンよ。まあ普通にやっときゃいいからね。」M山先生はそうして、「しっかりやらんとアカンよ」と、「普通にやっときゃいいからな」をそれぞれ5回ほど繰り替えしたあと、「まあ、8割がた通ったようなものだからな」とおっしゃった。
‥‥え?‥‥
話を総合すると、主査や副査の先生から「こってり絞られる」かどうかは、その大学の博士論文に対する考え方によって、かなり差があるらしい。
よその大学では、5回も10回も書き直しを命じられたあげく、「最初に書いたものが一番いいじゃないか」と言う話になったという、あんまりな話もある。
それを考えれば、私の境遇は、たいへんありがたいことだ。もっとも有難い境遇にいる1人かもしれない。
ただ、私のように、以前大学院に属した時から年数が経っている人は、学力を試す必要があるということで、これから1ヶ月のあいだに、英語のレポート、20枚の新しい論文をもう一個、そしてパワーポイントの資料。通常業務をやりながらのこれらの課題は、けっこうたいへんだ。
まずはすべてを脇に置いて、遊びたくなってきた。

2005年1月11日(火)
やはり最終学歴取得になるか、ならないか分からない今日このごろ

東亜大学に、論文の差し替えに行ってきた。
広い大学だった。
広すぎて、道を尋ねようにも、人がいなかった。
ここが最後の母校ということになる。
今度はもうちょっと、人がいるときに行きたい。
研究科主任の先生には、お会いすることができた。

関門海峡を渡り、産業大学へと戻ってきた。

こっちは今日、卒論の受付日だ。
教務委員として卒論受付事務をしていると、携帯が鳴り、「東亜大学で審議可能」という連絡をいただいた。

ここではじめて、正式に、主査副査の先生が決まったらしい。
これからこってり絞られ書きなおしを命じられるのだろうか。
などと思いながら、卒論受付事務に戻った。

産大では、卒論受付日が2日ある。
今日はその1日目。
半分の学生が初日に持ってくるなんて、なんて偉いんだ。
自分らの卒論の時は、間に合わずに、事務の扉に手をかけながら書いている人がいた。
とりあえず白い紙を提出し、何日か後に完成させて差し替えに行った人も居た。

‥差し替えという意味では、今日の私とあまり変わらないか。
今日、差し替えのために交通費が5000円ぐらいかかった私だった。

2005年1月10日(月)
最終学歴取得になるか、ならないか分からない年明け

そうしている人が多いと思うが、
実は、ホームページに「アクセス解析」というのをつけている。

そうすると、どんなキーワードでこのホームページを検索されているかが分かる。
一番多いのは、「フォーカシング」での検索。
二番目はなんと、日記の中にある、「とげの抜き方」だ。
経験談は、やはり書いてみるものだ。
毎日のように、「とげの抜き方」が検索されているのを見ると、日本中にこんなにとげが刺さった人がいるのかと、親近感を感じる。

いろいろなホームページに情報があるので、たいていのことは分かる今日このごろだが
「博士論文の書き方」は、HPにはあまり載っていない。なぜだ。
よほど怖いことが行われるのだろうか。
誰か書いてくれないと、空想が膨らむではないか。

よく分からないままに、恩師のお導きで、
先日、下関の東亜大学に博士論文を提出した私だが、
「ページ番号がついていないので読みにくい」とのご指摘をいただき、
今日、印字しなおしに大学に来た。
明日の朝一で差し替えにいかないといけない。
さっき、紙が無くなってコンビニに買いにいった。
紙は売っていなかった。
コピー機を指差して「あの紙を売ってくださいませんか」と言うと、店員さんはカタログを出してきて値段を調べ、「非売品なんですが」と言いながら、5000枚の紙束を413円で売ってくれた。

噂には、こってり絞られた上で出されるのが博士の学位だと聞くが、
この先どういう手続きになるのか、いつどの会議で「絞られる」のか、全く分からない。
分かっているのは、今、研究科主任の先生が、ページ番号がついていなくて読みにくい私の論文を、お休みの日にもかかわらず、読んでくださっているということだけだ。

2005年1月5日(水)
勝ったのか負けたのか分からない年明け

私の好きなものは、くじ、おまけ、安売りだ。
こんな私が、福袋にときめかないわけはない。
正直がっかりしたりもするのに、買わずにはおられない。
洋服屋の、1万円の福袋をゲット。
質の悪いカーデガンが1着。
質の良い無地のインナーが2着。
あとは、外国製のサイケデリックなインナーが1着。これが、どういうわけか親に非常に良く似合ったので、あげる。
総じて福袋に勝利したと思われたので、私はもう一つ欲しくなり、別の店に買いに行く。

すると慎重な女の人が、「どんなのが入ってるんですか?」と店員さんに確認している。
店員さん「インナー2点とジャケット1点と小物ですよ。いやほんと、ほんとにお勧めですから。あ、どれかに、ピンクの革のジャケットが入ってますけどね、それを除けば、無難なものが多いのでー」
女の人「‥‥‥」
店員さん「あ、いやいや、じゃあ、ピンクのやつじゃないのを、お渡ししましょうね、ほら、多分、これですから」。
店員さんが袋の重さをみながら判断したのを、私はみのがさなかった。
私は残った袋の中から、重いものを避け、レジへと向かった。

‥そしてピンクのジャケットが私のワードローブに加わった。
「革」じゃなくて、ぬいぐるみみたいな軽い毛皮風のジャケットだったのだ。
この年で、、、ピンクのふわふわ、、、
しかしこんな洋服こそ得てして、着倒すことになるのだ。
福袋に負けたと認めたくないから、せっせと着るのだ。
着れば、着れないことはない。
まるでお気に入りの一着みたいに着てしまう。

こうして今年も勝ったのか負けたのか分からない福袋との戦いが終わった。あまり、勝ち続けると買い続けるから、これくらいでよかったのかもしれない。
ちなみに、お菓子の福袋は当たり外れがないので、お勧めです。

2004年12月28日(火)
変化も積もれば山となる

昨日、福岡市男女共同参画センター(アミカス)の会議に、出させていただいた。県警にいた頃から数年来、職業上出席している。
館長さんが、「どうですか、九産大では、『男性相談のための男性カウンセラー』の養成はなさらないんですか?」と、勧めるようにおっしゃった。
『男性のための男性カウンセラー』というのはこの場合、ジェンダーに造詣が深いカウンセラーのことで、従来の男性観に縛られない男性の新しい生き方を模索していこうという考え方を背景に持つ人だ。
各地の女性センターが「男女共同参画センター」に名を変え、
一部の男女共同参画センターでは、男性のための相談日を設けて、そのための男性相談員を(常勤ではないだろうが)雇い、相談が盛況だという。

現在福岡では、そうした男性の相談は、メンズリブ福岡の原さんという方が、仕事の合間をぬって、個人で相談を受けてある。数年来、ほぼお1人での、ボランティアということらしい。頭が下がる。
男性カウンセラー養成といっても、職業として確立されていない新しい領域のこと。興味関心資質が揃った人が出てこないと、焚きつけたってはじまらないので、急にどうこうできるわけではないが、
時代が少しずつ変わってきているのを感じる。

変わったといえば、昨日1ヶ月ぶりぐらいに、棟猫のじろーちゃんがうちに遊びに来た。
後ろから見ると、横から腹がせり出している。足も尻尾も、こんなに太かったっけ、というぐらい太い。身長も立派なものだ。がっしりと大柄な猫だ。
大好きな遊び道具の音がすると、すぐに寄ってくる。ジャンプ、ジャンプ、パンチ、キャッチ。
でも、昔ほどは動かない。
腰を落とし、おもちゃの「獲物」にねらいを定めて待つ。ちょっと知らん振りして「獲物」をだます。そんな時間が増えた。
ついこの前まで、2時間も3時間も、遊んでくれと鳴いたり噛んだりたいへんだった。彼が急に黙って身体を舐め始めると、「こんな乱暴者でも、毛づくろいをするのか」と、ぎょっとしたものだ。
それほど、彼は、すごかった。
それが今やこの落ち着きぶりだ。
テレビでスマスマをつけていると、じろーちゃんがじーっと見ている。
あのじろーちゃんが、目を開けたままじっとしている。

彼が家に来るようになってわずか半年。その当初はおそらく、子猫と成猫の中間ぐらいだったのだろう。
今や成猫、そして1、2年もすれば中年か。
早い。
あっという間に、変わっていく。

私自身はどうだろう。
今年変わった主だったことといえば、
昨年よりは少し余裕のある形で、前期後期の授業を終えたこと。そしてベジタリアンになったこと、だろうか。消化にエネルギーを出さなくていいので、軽く穏やかになったような気がする。

来年が、皆様にとって良い年でありますように。
また来年5日ごろから、日記も書いていこうと思います(本当か?)。

2004年12月21日(火)
生きてます

こう、日記を更新しないと生きてるか死んでるか分からないと思われるでしょうが、生きています。忙しいです。今、21:15です。さきほど、最後から2番目の授業が終わりました。笑いました(←エンカウンターの演習なので)。隣の教室も授業やってたんですね。うるさかったでしょうね‥すみません。よく苦情が来なかったものです。明日が今期最後の授業になります。

2004年12月10日(金)
ひそかな実験

ベジタリアン宣言をして10日が過ぎた。
肉、魚を抜いて料理を作る。
おいしいときと、まずい時がある。
昨日は、大豆タンパクを鶏肉代わりにして、野菜と一緒に牛乳で煮たら、めちゃくちゃまずかった。
大豆タンパクは鶏肉の代わりにならないことが分かった。あれは、やはり、大豆だ。

といった失敗はあるものの、
おおむね不自由は感じない。
肉は、獣くさいと感じるようになった。

ひょんなことからベジタリアンをしてみているわけだが、
なぜここまで続いているかというと、下心があるからだ。
「聖なる予言」という本(スピリチュアリティーについて、冒険小説仕立てで書いてある本)には、
よく育てられた野菜を食べている人は、植物や動物のエネルギーのオーラが見えるようになると書いてあるのだ。

まだオーラは見えない。
まあ、鶏がらスープの元や、オイスターソースを使っているうちは、駄目かもしれない。

2004年12月3日(金)
とげの抜き方

臨床心理学科は新しい。
備品も新しい。
真新しい箱庭の蓋を、開けたり閉めたりする時に、
いつもいやな予感がしていたが、しばらく前、ついに、指に棘が刺さった。
一本はすぐ抜けた。しかしもう一本は、棘が刺さりきって、棘の頭の部分が、0.1ミリぐらいしか出ていない。
なので、つまんで抜くことができない。
かなり鈍角とはいえ、指の内側に入り込んでいる。
仕方ないので、そのまま人差し指をかばって生活する。
人差し指にものが触れても、なんということもない。
その部分を上から撫でても、大丈夫だ。
うまくいけば、小学校の頃の、「鉛筆の芯が手のひらに刺さって刺さったままになっている状態」のように、やがては手と一体化して、忘れていけるものかもしれない。
と、油断していると、ふとした時に、その部分に何かが触れると、痛みが走る。
「ああ、やっぱり、駄目なんだ」「このまま続くかもしれない」と思う。
その感じは、心の傷に似ている。
というか、昔の人は、よくぞ心のそれを、「心の棘」なんて言い表したなあと思う。

夫が、「5円玉を押し当てたら、棘が取れ易くなるよ」と言う。
やってみたが、0.1ミリしか棘の頭が出ていないという状態は変わらず、棘をつまむことができない。
夫は「なら、針でやるしかないが。針をジュッと焼いて消毒して、皮膚を少し破って、掻き出すったい。よう、子どもの頃、されよったたい。」
‥怖い。^^;
日一日と過ぎていく。
ネットで「とげの抜き方」を検索すると、3件しか出てこない。
その少なさによって、ますます不安になる。
1件は、皮膚を破って取り出すというもの。
1件は、5円玉。
そしてもう1件は、「さといもをすりおろしたものを、その部分につけると、とりにくい棘も1日ぐらいで取れます」と書いてある。
さといもで取れるとは、想像がつかなかったが、もう、なんでもいいからやってみることにした。
さといもをすりおろし、塗り、絆創膏でぐるぐる巻きにする。
そうだ、もしかして、指がふやけて、穴が大きくなって、取れ易くなるかも^^)。と期待したが、1日後、白くふやけた指に、さらに棘がめり込んで見えた。
痛みは少なくなっていた。
諦めて、絆創膏をはずして、寝た。

一夜明けて、指のふやけが引くと、棘の頭が0.5ミリぐらい外に出ていた。
黒い棘の全貌が、はっきり浮かび上がって見えた。今まで内側に入り込んでいた部分も、手の皮の方に押しやられたように見える。
棘をめくって倒すように動かしてみると、棘はなぜか柔らかくなっており、しなった。
つまんだら、抜けた。

〜晴れて自由の身〜らりほ〜〜

ということで、棘は、時間が経ったら取れ易くなるということがあることがわかった。
さといもと絆創膏のどちらが効いたかは分からないが、どちらもかもしれない。
おためしあれ。
というか、大人になって棘が刺さる人は珍しいかもしれないが‥。

2004年11月29日(月)
いきなりベジタリアン

私は知らなかったが、人間ドックに入る際には、3日ぐらい、魚、肉、ねり製品など「血を含むもの」を断ったほうがいいらしい。
人間ドッグの説明書を丁寧に読んだ夫が、「3日間ぐらい料理を魚、肉ぬきでやってほしい」と私に言った。そういうものが好きな夫は、非常に嫌そうだった。
しかしそういう料理を、作って出してみると、「こっちの方がおいしいかも」と言い出した。
中年になっているにもかかわらず、日頃、学生向けの高カロリー食を学食で食べるから、夜ぐらいは、ベジタリアンで行ってもいいのではないかという。
ということで、いつまで続くか分からないが、一昨日からベジタリアンになった。

ネットで調べてみると、ベジタリアンにはいろいろあり、
「肉・魚類のみでなく、たまねぎ、ねぎ、にんにくを食べない」というやり方の人もいるらしい。
なぜたまねぎ、ねぎ、にんにくが駄目なのだろうか。強壮野菜を食べないということだろうか。ベジタリアンは奥が深い。

ちなみに昨夜はグラタンを作ったが、野菜のグラタンにたまねぎを入れたら、たまねぎの味が強すぎて、たまねぎが浮いた。

2004年11月27日(土)
来年2年生、たいへんかも

うちの大学の臨床心理学科には、まだ1年生しかいない。
私は来年、臨床心理学科の2年生に、「心理学研究法A」という授業で、心理検査を教えることになっている。

検査といえば、ロールシャッハに触れざるを得ないのではなかろうか。
ロールシャッハとは、インクの染みを印刷した図版を見せて「これが何に見えますか」と問うテストだ。
一般の方は、「それで何が分かるんだろう」と思われるだろう。実際、これから意味を汲み取るには、検査者の主観が入らないような一定の手続きと計算式で結果を整理し、統計に照らし合わせながら解釈しなければならず、(検査者にとって)最も難しい心理検査のように言われている。
私はこの大学に来る前の就職先が電話相談だったので、ロールシャッハを現場で使ったことはない。
折りしも今日は、大学院の「査定演習」の授業の一環で、第二病院の浦田先生によるロールシャッハ法の特別講義が行われたので、
院生にまじって、聴講させていただいた。
浦田先生は、ロールシャッハのお膝元、中京大学で勉強なさったということだ。
浦田先生は共感的でいらっしゃって、「記号が多くて嫌になろう?僕も学部の頃、挫折したよ」などとおっしゃりながら、教えてくださった。
質問すればすぐに明快な答えが返ってくる。話のもっていきかたも、それ以上はないだろうという、分かり易い授業だった。

それにもかかわらず、分量がたいへん多いと感じた。
なんせロールシャッハテストの集計は、アルファベット記号の羅列だ。
アルプスの少女ハイジの気持ちが分かった。
しまいにはアルファベットがぜんぶヤギに見えてきて、椅子に登って「さよ〜なら〜」と手をふりたくなった。

復習の意味で参加した私でこうなのだから、

初めて聴く人には、たいへんだろう。
今日1日4時限分の授業は、ふつう3ヶ月ぐらいかけて(12時限で)じわじわやっていくものらしい。
それくらい、ロールシャッハは覚えることが多い。
現場に出て急に覚えられるわけではないから、
やはり学部の時点でロールシャッハをやっておかないといけないと、はっきりわかった。

ここで心配になったのは、学部の授業だ。
「心理学研究法A」では、そもそも心理テストとはなんぞやというところから教えなければならないし、ロールシャッハをお互いに取り合うという時間も必要だ。
ロールシャッハの解釈法に使える時間は、せいぜい4〜5時限。
今日、院生と私が勉強したのと同じぐらいの時間数だ。
‥学部生は大丈夫だろうか。
今年、1年生は、体験型の授業で自己理解を主体として、けっこう楽しげに、心理学を勉強しているはずだが、来年から、たいへん頭が忙しくなるのではないかと思う。私の「精神保健論」だけとっても、病気の名前を覚えないといけないし、後期の「心理学研究法B」はほぼ数学だし‥。
まあ、臨床心理学科らしくなるといえば、そうなのだが。

2004年11月21日(日)
面接受ける方も、する方も

お互いに、「これでよかったのかなあ、どうなのかなあ」と、思っているのでしょう。今日は推薦入試の面接でした。
無駄口叩かないで無難な答えをする方もおられれば、ある程度形式に従いながらも率直に持ち味を出す方もおられて、それぞれの方のキャラに惹かれたりもいたしました。
ずいぶん、練習してきておられて、「極めて大きな声と迫力、元気」を出さねばと、頑張っている方(高校)もありますけど、臨床の場合は、「はきはきと元気」であるというのは、受かるタイプの一つにすぎず、持ち味のまま、内省的で細やかな人もいていいわけなんです‥。また、ご自分について長所、短所などを語って自己アピールをなさる際に、短所として「一つのことに集中しすぎるところがあります」という答えをなさる方が続いて、(もちろん、本音でそれをおっしゃった方もおられたでしょうけど)それが過半数越えますとですね、、何か、塾や先生から仕込まれてきたんじゃないですか?と苦笑いいたしました。「集中しすぎる」ってのが、大学の先生好みの答えだと思われてるんですかね。臨床の場合は、「自分をある程度見つめることができ、自分の言葉で言うことができるか」、を聞こうとしているだけのことで、短所の内容(好感が持てる短所かどうか)によって判定するってことは、無いんですけどねえ。
共通してはずせないのは「質問の意味を理解して答えられるか」、というところで、あとは、いろいろなタイプがあっていいわけで。逆に言うと、規準が一つではなく、点数をつけるのはやはり難しいことです。大学生として、やっていけそうか、つまり「そのへんに居そうか」というあたりでみると、いろんな人がいていいわけだから‥ですね‥

2004年11月12日(金)
小旅行

子どものころ、バスの終点にあこがれていた。
大人になってからも、バスに乗ると、「あ〜このまま終点まで乗って行ってしまいたい」とよく思うのは、私だけだろうか。
特に昨年の後期は授業が多く、準備がままならないで次々と教壇に立つプレッシャーから、「ぜったい、この学期が終わったら、一日何もしないでバスに乗って、終点まで行ってやる!!」と、心に誓っていた。
‥で、春休みになって、それほど忙しくなくなったら、そんな決心は、忘れてしまっていたけれど。

その、バスの終点に、今日、行ってきた。
バスの中で職員証を落っことしたようで、営業所から「預かってますよ」と、大学に電話が入ったのだ(恥)。
バスが
産業大学前を過ぎると、もう、未知の世界だった。
いろいろなスーパー、学校、団地を見た。
終点の二つ前のバス停あたりから、すこし寂しげになった。
着いた営業所は、だだっ広かった。

工場の他には、遠くにセブンイレブンが一軒見えた。

気分転換になった。

2004年11月10日(水)
専門的な話になりますが

たった今、大学院の夜の授業が終わったところで書いているが、
‥今日はびっくりした。
話の流れで、
「フォーカシングの出始めの頃、フォーカシングの研究は、『一回のセッションでシフト(劇的な変化)が起らなければ失敗、起れば成功』なんて、成功失敗にとらわれてずいぶん画一的なとらえかたでしたよね」と言ったら、
M山先生が、「いや、それはさ、最初の頃は劇的に成功してたんだよ。」と、思いがけないことをおっしゃる。
M山先生「今は、シフトとか言わなくなったよな。シフトがそれほど起らなくなったからじゃないの。心理療法は、どうも、技法が新しい(できたばっかりの)時が一番効くみたいだよ。ロジャースのカウンセリングだって、最初は、3、4回のセッションで劇的に変化してたんだよ。クライエントセンタードになってから(中期ロジャースの頃)の事例は、回数が、40セッションとかになってるでしょ。何の技法でもそうなんちゃうかな?変化が起り易いのは、技法の初期の頃だって。一方で、(ずっと同じ種類のものに)繰り返し参加してる人にとっての効果も、エンカウンターグループなんかで言えば、もちろんあるけどね。」。
そこで、「え、何で、新しい技法が効くんですか?」と尋ねると
M山先生「なんでだろうね。なんでか分からんけど、セラピストにとってもクライエントにとってもその技法が新鮮だっていうのがいいんじゃないかな。」

年取った先生が、何十年と心理療法の趨勢を見てきてそうおっしゃるんだから、「出始めの技法は効く」という傾向は、そうなのだろう。
けどこれはかなり重大な発言のようにも思える。
「心理士がなにか一つの技法を専門的に極めて使い続けることが大事というよりも、次々と新しい技法を覚えて使うことのほうが格段に効果が上がる。」
ということになるではないか。
アメリカで、次々と新しい心理療法が産まれては消えるのは、とても理にかなったこと、ということになる。


心理士は、あまりころころ、ベースとなるオリエンテーションを替えれるものではない。
けど、こまかいレベルで、そのクライエントにあった技法をその場で作っていくならば、こまかいレベルでの新鮮さは、保たれるのかもしれない。
フォーカシングのリスニングで経験することだが、リスナー(私)がその場の思いつきで教示を作って、「ちょっと、今、こういうことを言うのがふさわしいかどうか分かりませんが、、」と前置きして言う教示は、100%ヒットする。15年以上フォーカシングをやってきて、「その前置きの言葉つきの教示」のヒット率は、全く変わらない。

‥と、セオリーのようにそのことを意識してしまった私は、今度から、、「今、こういうことを言うのがふさわしいかどうか分かりませんが、」の教示が、どうもヒットしなくなるかもしれない。

2004年10月29日(金)
猫、おそるべし

昨日、珍しく「夕方」と呼ばれる時間帯に帰宅し、くつろいでいたら、外から「にゃお〜ん」と声がする。
「にゃお〜ん」??
恐る恐る、玄関ドアののぞき穴から覗いてみると、黒とグレーのだんだら模様の長細い物体が見える。
じろーちゃんの尻尾に間違いない。
「にゃ〜ん」。間をおいてまた、「にゃ〜〜ん」。
ふっと、物体が動いて、三角の耳が見える。
じろーちゃんが少し後ずさりしたものと思われる。
ドアの前に正座してる。
何かい?君は、昨日来た家を覚えてるっていうのかい?
ここのマンションは、けっこう戸数が多いってのに。
それとも、君はこの時間帯は一軒一軒セールスマンのように、訪問してるんだろうか。
「にゃお〜〜う〜ん」。
駄目だよ駄目。
ここで開けたら、うちは、完璧にじろーちゃんの家になってしまう。

うちは留守がちなんだから。
君がいくら切なく鳴いたって、君を中に入れたことがあるのはうちだけじゃないってこと、
そのふくよかな身体を見れば、一目瞭然なんだからね。

2004年10月28日(木)
このHPの「自己紹介」のページの猫

昨日、「じろーちゃん」が家に来た。
よく「学校犬」とか「学校猫」とか居るが、「じろーちゃん」はマンションに住み着いている「棟猫」だ。
奴はすごい。
人が一階で、エレベーターが来るのを待っていると、彼はまず後方から人の足めがけてドーンと頭突きをし、自らの存在をアピールする。
そしてすばやく前方に回りこみ、「取った」とでもいうように、人の足を踏んで、人の動きを封じ込める。
いざエレベーターが来て、人が乗り込む段になると、彼はすぐには乗ってこない。あまり早く乗り込むと、人から追い出されてしまうからだ。だから彼は、エレベーターのドアが閉まろうとするぐらいの瞬間を狙って、すばやく入り込んでくる。
あとはその人の家まで、巧みに人の前を歩き、玄関からすべり込む。家にきたらきたで、鳴いたり、噛んだりして、遊んでくれるように要求する。特に、狩猟系の遊びを極めて好む。
人の食事を見ると猫パンチをして、食べたがるので、仕方なく一応キャットフードを買っている我が家。
たいへんな猫だが、あの強烈なバイタリティーには、少し、元気をもらえる気がする。
こいつは、あまり長く家に置いていると、23時30分ごろから睡眠タイムに入り、ほとんど見ず知らずの家にもかかわらず無防備に腹を出し、ぐうぐう寝る。なので、なるべく早い時間に遊び道具で釣って、一階のロビーに置き去りにする。こっちがエレベーターで2階3階とエレベーターが上がって行くと、気づいた彼が、下から「にゃあーーー」と、切ない声で鳴く。
あのときは、かなりかわいそうだ。
でも、おそらく、あまり心配してやらなくてもよい状況だろう。
なぜなら、うちに来るのは2週間に1回ぐらいだが、彼は確実にデブっているのだ。
みんなが可愛がっているのだろう。
半野良なのに、たいそういい毛艶だ。
でも、このところ、デブになりすぎじゃないだろうか。あの運動量を上回る食事量をせしめる彼の能力には感服するが‥。「じろーちゃん」はほどよい体重を維持して、たくましい「じろーちゃん」のままでいてほしい。

2004年10月22日(金)
見上げれば半月

通常、面接室に入ったらカウンセリングが終わるまで出てくることはないのだが、その日はクライエントさんがトイレに行くといったので、私も外へ出た。
すると、隣の学科で入試委員の『中澤先生』が、うちの事務の若い人に何か交渉しているところだった。
「あっ!!、森川さんちょうどよかった!!今一分いい,一分だけ?」私を探していたのか。なんてタイミングだろう。
「森川さんは去年地方入試に当たって、行かなかったんだよね?」
「はい、広島の地方入試が中止になったから、行きませんでした」
「だよね、だよね?それを確認したかったんだよ」。中澤先生は走って来てたのか、息がハーハー言っている。そして相変わらず、人と接するときの距離が近い。いつものように目の前で人の顔を指さしながら、「だよね、だよね」と繰り返し、
「会えて良かった!」と、笑顔で走り去った。
妙に爽やかだった。
私も「会えて良かった」とおもった。
それから5日後の訃報だ。
棺の中の中澤先生は、いつもの中澤先生とあまり変わらないように見えた。
斎場には、ロックがガンガン流れていた。
まだ40代。心臓というのは、そんなに急にくるものなのか。


平成15年度の臨床心理学科募集リーフレットに載っている学生は、中澤先生のところの、文化人類学の学生さんだ。
まだ臨床心理学科は開設前で学生がいなかったから、臨床のイメージ写真を撮るために、中澤先生が自分のゼミの学生を貸してくれたのだ。
彼らに、臨床ふうにやわらかく談笑してもらって何枚も写真を撮った。
けっこう時間がかかった。
「悪いねえ」と言うと、彼らは、
「中澤先生の頼みですから」と言った。
「ゼミはどう?」と尋ねると、即座に、
「面白いっす。東南アジアの文化とか、誰もそこまで深く知らんでしょう。大学入ったとき、そんなこと勉強するなんて思ってみんかったし。でも今はめちゃくちゃ知ってる。それ考えたら面白いよね」と、彼らは言っていた。

普通は、「安らかに、ゆっくりお眠りください」と言うところなのかもしれない。中澤先生がそうされたいのなら、それが一番だけど、なるべく早くどこかに生れ変わってきて、好きな研究をしていただきたいようにも思う。
お世話になりました。

2004年10月15日(金)
教室変更

心理学のページにも書きましたが、経営学部の心理学の授業をもう一度教室変更し、中央会館52番教室としました。前回も移動したので、またかという感じでしょうが、ビデオをスクリーンで見れる部屋という希望が多くでたので、このような措置にしました。
伝達がうまくいくかどうか不安です。掲示を見ない人もいますのでね。なるべく友達同士伝え合っていただければ助かります。

あと、気になることとしては、下着が苦しいです。(←まだ言うか)

2004年10月8日(金)
またまた台風

院生たちが、東京へと旅立って行った。
臨床心理士の試験は日曜日だが、土曜日に東京に向かっていたんでは、台風で飛行機が飛ばないかもしれないから、
半泣きになりながら、便を替えて旅立って行った。
お金が苦しい中、飛行機の便をかえて一泊余分に取るのは大変だろう。
せめて日曜日、交通機関がストップせずに、東京で無事に過ごせますように。
そしてなるべくなら、合格して、このことがいい思い出になりますように。

2004年10月7日(木)
時代

「われわれの命運をかけた会議へぜひご出席を!」と、メールが回ってきた。(ご心配なく。ご心配していただくような状況があるわけではない)。
何が言いたかったかというと、私は産まれてこのかた、メイウンとは、「明雲」だと思い込んでいたのだ。「明るくなるか、かき曇るかの分かれ目」だ、と。

思い間違いと言えば、こんなこともあった。
中島みゆきの「時代」という歌がある。
「め○る め○るよ 時代はめ○る 」という
フレーズ、これは、「よ」のところに一番、アクセントがあるように聴こえる。
「め○る め○る」「よじだいはめ○る」
‥って何だろうと、子ども心に考えた結論は、


4時56分、4時57分、4時58分、4時59分、4時00分、4時01分‥・。

4時台はめぐる。

4時台の夕焼けになるか、ならないかの美しい空のイメージ。
ああ、なんだ、そうだったのか。きれいな歌だなあ。

この間違いに気づいたのは、完全に大人になってからだった。
以来私は、歌詞カードみないと歌詞が分からない曲を、おいそれと好きになれなくなった。

2004年10月4日(月)
たまには行ってみるもんだ美術館

きのう、福岡県立美術館のポール・デルヴォー展に、連れられて行った。
ポール・デルヴォーの油絵はたいてい、青白い肌の裸の女性たちが、幻想的な画面の中に配置されている。
どの絵見ても、ポール・デルヴォーふうの女性の顔というのがある。
というので、行って興味がもてるかどうか分からいなあと思っていたけれど、面白かった。
彼の油絵は、女性って素敵、という、普遍的なところを書いているように思えた。
油絵とは別に、おびただしい練習のデッサンがあって、モデルや家族、知人を書いていた。
デッサンの段階では、ほんとに、その人がそこに居るように、リアルに一人一人が描かれていた。ポーズや表情、姿勢に個性がある。
ダニエルというショートカットの、ボーイッシュで少しアンニュイな感じのモデルさんが気に入った。

85歳になる学者を描いた肖像画も良かった。
製作段階で絵をみた学者の反応について、ポールは
「実験室にありもしないコンロを二つ描いてあるとか、胸の赤いバッジが大きすぎるということで気にいらないようだった。絵は絵であることを理解していただけないようだった」と振り返る。
で、確かに、油絵の学者の胸には、バッジの大きさを修正したようなぐるぐる丸の筆の跡があった。
結局、学者は、出来上がった絵を見て「まあ、悪くないね」と3回言ったということから、「気に入ったものと思われる」んだそうだ。
どこの国でも、学者は言いたいこと言うし、反応も好き勝手なんだな。ポール・デルヴォーにお疲れ様でしたと言いたい私だった。

あと、入り口においてある日本人の方の「空き屋」という展示が良かった。

その後、教材の本をやたら買って帰宅した。


2004年10月1日(金)
今の季節

朝晩、何気なく歩いていると、キンモクセイの香りがする。
もうそんな季節だったんだな、と思う。
梅も桜もあじさいも、つぼみの段階で目をひくから、花が開くのを心待ちにする。
けれどキンモクセイは、毎年、いつの間にか咲いていて香ってくる。
期待していなかったプレゼントみたいで、嬉しい。

2004年9月29日(水)
遠慮はいらない

今日は、台風ということで、みんな傘をラッパにしながら登校した。
もちろんびしょぬれだ。
今、移動も困難ならしく、窓の外を通る学生がキャアキャア言っている。
福岡再接近は正午とのこと。
台風、どうせ来るなら中途半端に来ずに、真っ向から来てほしい(学校が休みになるくらいに)。
意外と台風、嫌いじゃありません。
どんと来い、台風。

2004年9月27日(月)
古楽の値段

昨日、アジア美術館のロビーでフォーカシング研究会(というか、寄り合い)をしていたら、いきなりバロック音楽のコンサートが始まった。
ラッキー、ということで、みんなで聴いた。
リコーダーの物憂げな、澄んだ響きがよかった。
バロックダンスがまた、控えめな動きで綺麗だった(衣装も素敵)。
毎年この時期、福岡は古楽音楽祭というものが行われているらしい。

終わったあと、チェンバロに子どもが群がって弾いていたので、
便乗して、触らせていただいた。
チェンバロの弾き心地は、ぷち、ぷちと何かを押す感じで、とても心地よい。ピアノほど音も大きくない。


以前から知りたかったこと(なかなか調べても分からなかったこと)を、演奏者の方や、楽器を作る方に尋ねてみた。

☆チェンバロの値段
コンサートで使われた二段鍵盤のチェンバロ‥250万円。
一段鍵盤で、ごく小型のもの‥80万円(テーブルに置いて弾くような形状)。
松尾古楽製作所(だったと思う。松尾さんであることは間違いない)が中間市に工場を持っていて、注文に応じて作ってくださるとのこと。
松尾さんは、各年代のチェンバロ、ピアノを製作している。
ちなみにチェンバロの調律はというと、
何曲か弾いただけで音程が狂うので、演奏者が自分でチューニングをするとのこと。(ギターのチューニングと同じとはいえ、鍵盤があれだけあるから大変そう)

☆リュート
伴奏も独奏もする弦楽器。ちょうど琵琶のような形で、なんとも綺麗。音も繊細だ。
これが40万円。
中古で20万円ぐらい。

☆ギター
ギターといっても、ウクレレの原型になった楽器ということで、ウクレレサイズ。値段を聞き忘れたが、見た感じもきれいな楽器。
演奏者の森さん曰く、
「弦は売ってないから、つり糸なんですよ」
‥へ?
「一番低い弦は、確か、本マグロ用のつり糸です」
‥(笑)音からは想像できません。いい音でした。

ということで‥。やっぱ、チェンバロやリュートは、買うにはうんと勇気がいる値段ですね。^^;
やるなら、小さくて素敵なギターかなと思いましたが、自分でつり糸買ってきて弦を張るのって難しそう。古楽の方のご苦労が偲ばれるような気がしました。
教えてくださった皆様、ありがとうございました。

2004年9月25日(土)
太陽は自分の周りを回る

国立天文台の調査で、全国の小学4〜6年生のうち4割の人が、太陽が地球の周りを回っている、と思ってる、というのがあった。何日か前のニュースで。
地動説ってのは、単なる理科の知識にとどまらず、
「自分に見えるものが全てじゃない」って思わせてくれるような、心理学的教養として、大事な知識じゃなかろうか、と思う私であった。

2004年9月22日(水)
やっぱり、そうでしょ。

昨日、「ものしり一夜漬け」というテレビを見ていたら、
回転寿司とパチンコは、脳をリラックスさせる効果があると言っていた。
やはりそうか。
眼球運動の効果はあなどれない。
パチンコにはEMDR的な効果、つまり眼球運動によるストレス処理の効果があるということだろう(http://www.emdr.jp/about.htm)。
物が激しく動くようなコンピューターゲームも同じだろう。
昔私が、「ゲームしながらだったら考えごとが進む」って、言って回ったら失笑された。
ま〜確かに昔は遊びすぎてたからね‥。

これからは、パチンコで困ってる人がいたら、
「パチンコにはまるのも、コンピューターゲームやるのも、同じ効果があるみたいだから、ゲームに変えてみれるなら変えてみたら」、ってとりあえず言うことにしよう。
(もちろん、お金に困ってない人は、パチンコのままでいいんだけど)。

2004年9月19日(日)
ホームページ初心者、悪戦苦闘

9月17日に学外公開となり、家のパソコンで
このホームページを見てみたところ、
字がズレにズレてまして(@@)
修正がたいへんです。
ホームページビルダー8を使って作っているのですが
地の文の行のとおり、リンクも写真もぴたっと左寄せ
しないと、
他のパソコンで見たときに地がずれるようです。

私は、レイヤー枠に字を乗っけて、レイヤー枠を
あちこちにちりばめていたのです(で、作成したときの
パソコンで見てちょうどよい配置にしていたのですが)
。そんなのは駄目みたいですね。
うーむ。
「どこでも配置モード」とか言うから、
いかにも自由に配置できると思ったけど
できないのね。残念。

2004年9月17日(金)
今日、オープンしました。

皆様こんにちは。
今日、HPを公開しました。よろしくお願いいたします。
それで、今日から日記を書くことにしましたが、
うーん。続くのだろうか。実は、このページが一番、不安です^^;。
自慢じゃありませんが、一度も、日記というものが3日以上続いたことがありません。

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