「何でも体験記」に自分のフォーカシングを詳しく書くのは初めてです。
フォーカシングの体験は、催眠等会話で進むものと違って分かりにいところがあるかもですが、雰囲気でお読みいただけたらと思います。
今回、フォーカシングの第一人者、アンさんをカリフォルニアからお呼びして、ワークショップを開催しました。
マネージャーとしての超個人的な体験記です。自分が仕事をしていてあまりセッションを体験していないので、その分なるべく、セッション外のアンさんのお言葉などを含めて書いてみます。
3-(6)(3日目6ページ)まであります。
2011年8月4日。 アンさんの到着を出迎える福岡空港、私は茫然とし、不安に襲われた。 アンさんが降りて来ないのだ。 アンさんはどこに居て、どんな心境なのか。 そして元々普通にアンさんを待っているというだけで、「緊張しますね」と言っていた院生のA君(仮名)、 隣で落ち着いているように振舞ってはいるが、彼の心の内は今、いったいどんな状態になっているだろう。 私達はアンさんの電話番号すら知らない。 スタッフのF盛氏に電話をかけてメールを見てもらい、爆走して、A君が別の到着ゲートに居たアンさんを発見したのは、アンさんの到着からゆうに30分後。 私の確認不足で、アンさんは東京から来るとばかり思っていたのだが、実際には北海道便だったのだ。 アウェイの地に一人放り出されていたアンさんは、待合の椅子で、静かに本を読んでおられた。 みじんの動揺も無く―。 車の中でアンさんはおっしゃる。 <時差ボケ解消のためにしばらく東京のミエコさんちに泊まって、遊んで、その期間はすごく涼しくて晴れてたのよ。 北海道の会場は、冷房がないから暑いって予想だったけど、ワークショップの期間中はとても涼しくて、奇跡だって言われたわ。 そして富良野でのバカンスも素晴らかったわ! だいたい私は、うまい具合に行くのよ。 それをね、『アリガトゴザイマス』と思うの。 もし、思っているのと違うことがあっても、流れに乗るの。 例えば、東京のミエコさんちの最終日は大雨だったけど、ちょうど、休みを取るのによい日だ、ってなふうにね。実際、そうだったわ。> 福岡で30分お待たせしたことは、申し訳ないことだったが、アンさんはそれすら流れとして活用したのだろう。 もしお迎えが間に合っていた場合には会場下見をしてもらうことになっていて、お疲れのアンさんにはややタイトなスケジュール。私や、研究会の皆がそれを心配していたことは確かだ。 短いご滞在期間中の唯一の観光である、古民家見学にお連れし、その夜は、 地元の研究会のメンバーで夕食会をした。 「アンさんにとってフォーカシングとは何ですか」と問われたアンさんは、沈黙を取って感じ、 <フォーカシングがなければ、すべてのつながりが感じられないです。>と話された。 <人も動物もみな一つ> と、自分の手を、指から甲へとなぞっていかれるアンさんは、 “一つ一つの生き物が指の一本一本のように生きているが、元をただせば一つ” と言いたいようだった。 <岩さえもたぶん命があって、私達はつながっているんです>。 研究会の皆で「はー、悟り切ってありますね」とため息をついた。 万物をフェルトセンスで感じているということなのだろう。 私は、「うらやましい。そんなふうに私も、感じられるようになりたい」と言った。 アンさんは<なるわよ。>と、ほほ笑んでいた。 8月6日 ワークショップ1日目 <今回で8回目の来日だけど、1994年の初来日は福岡だったのですよ。>等と地元関連トークをしてくださった後、本題に入っていった。 <このワークショップのテーマは、“Finding life energy from dark places(人生の難しい局面の中で本来の自分に向かう力を見つけるには)”ですね。 ここに、ジェンドリン先生の、私が大好きな言葉を引用しています。> (板書) あらゆる悪い感情は、もしあなたがそれにとって正しい方向に動くスペースをそれに与えることができれば、より正しい存在のありようのための、潜在的なエネルギーである。 <台所で上の棚のドアに頭を打ち付けることってありますね。 その痛みを(フォーカシング的に)感じていると、最初はずいぶん痛いけど、比較的速やかにその痛みが消えていきます。 逆に、痛みを無視しようとすると、痛みの感覚は少し弱いけれど、ずっと長く続くものです。 痛みは、私達に、どうしたらいいかを伝えきているのです。 簡単な例を上げますと、呼吸です。息を吸ったら、その次に何が正しいかっていうのは、息を吐くってことだと、身体は知っています。 ちょっと試してみましょう。息を吸って。吐ききったらそこでストップして息を吸わないでください。何かが起こってきていますよね。 こんなふうに、悪い感情(苦しさ)は、身体が、「次に息を吸うってことが正しいんだよ」ってことを知っているわけです。 呼吸は簡単な例ですが、さまざまな複雑な状況の中、私達のからだは、身体は次に来るべき正しいことを知っている。そのことをこのワークショップでお伝えしていきます。> こうやって1時間かけて丁寧に講義した後、 アンさんは、いきなり思いきったワークに出た。 <今から皆さんにやっていただきたいのは、自分の人生を考えてみて、非常に辛かったな、もしくは行きづまってしまったなということを思いだしていただきたいんです。> ………。 3日間にわたるワークショップの、すでにもう、本題みたいなものだ。 普通もうちょっと軽く短いワークから入りそうなものだが…。 15分に及ぶ集団法のフォーカシングが始まった。 まずは丁寧なリラックスや、今の体験を受け止めるという態度作りの教示。 私は、今までの人生の中で難しかったこと、と言われれば、子どもの頃のことかな…と思い始める。 その時、私は突然気がついた。 A君が来ていない。 アン・ワイザー・コーネル来日ワークショップ福岡2011年 1−(2) に続く |