APA体験記 (2)
6 英語ができなくても行きたいところには行くべし?! Hospitality Suite

 さて私にはどうしても気になる枠があった。初日、APAのプログラムとは別にチラシが配られ、そこに、Division48のHospitality Suiteへのご案内と書いてある。Division48にはほぼ毎日、Hospitality Suiteなる枠があり、それぞれの枠に、「Facilitator 誰々」と記されている。講師ではなくてファシリテーター(促進者)がいるらしい。何か促進してくれるらしい。平井氏に尋ねると、「Hospitality Suiteって何でしょうね‥、Divisionが独自に運営しているみたいですね。地元の人がファシリテーターで入るみたいですね。ホテルの一室ですね。語り合いをするんじゃないですかね」との返事。しかし、皆に「初日から、英語が分からない上にどんなとこかも分からないのに行って大丈夫ですか?」と指摘され、全くそのとおりだと思う私であった。だいたい、Division48の領域の名前といったら、「Conflict、Love & Peace」みたいな名前だ。気持ちは分かるけど、一体何の学問領域だか分からない。トラウマ関係だろうか、あるいは教育系だろうか。
 そしていよいよ学会も三日目の金曜日となった。その日Division48のHospitality Suiteは18:00から予定されており、学会自体のプログラムは終わっている時間でどうせヒマだ。出てみたい。でも三日経ってもHospitality Suiteの意味、Division48の意味が分からない。すると院生の小林さんが、「私も、どうしても行ってみたい発表が、Discussionって枠で、行ったら、円に座ってすごい議論になってて。で、すぐにドア閉めたんですけどね、雰囲気が見れただけでも良かったですよ〜!行きたいところがあったら行ったほうがいいですよ。ドアを開けてすぐ閉める、開けてすぐ閉める、で。」と興奮気味に言う。その言葉に刺激された私は、18:00からDivision48に出ることに決め、それまでヒマなので、16:00からDivision32のHospitality Suiteも覗いてみることにした。Division32のHospitality Suiteは、その日のヒューマニスティック心理学の発表会場でチラシを配られたから、ヒューマニスティックのはずだ。

 複数の学会会場をつなぐバスが、待てど暮らせど私を乗っけて行ってくれなかったので(実は14:00でバス送迎は終了していた)、自分でホノルルの町を疾走し、10分以上遅れる。心の中で「ドアを開けてすぐ閉める、開けてすぐ閉める」、とつぶやきつつ高層ホテルの32階、足を忍ばせていくと、予想に反して部屋のドアが開いている。あっ、これでは、閉めようがないではないか。間髪入れず、「Hello〜」世話係らしいにこやかなオバちゃんが私を出迎え、私の手を取り、名札に手を伸ばしたかと思うと、あっという間の手際の良さで私の名札にショッキングピンクのリボン、ピンクの造花を貼り、「どう、いいでしょう?」と言う。つい「まあ、なんてかわいいんでしょう」と言うしかない私。戸惑う間もなくオバちゃんは私を後方のテーブルにつれていき、「どうぞ、いっぱいあるわよ」みたいな意味のことを言う。お菓子やジュースが並べられて好きに取っていい状況のようだ。しかし見渡すと、ソファーや椅子、10人分ぐらい円形に並べられ、そこに座って居たのは講師を含めてたったの5名。私なんか皆の会話の一割も分からないのに、円形で少人数のセッションに参加するとなると、平気でいられるはずがない。さすがの私も恐縮し、ジュースをコップ3分目ぐらい注いで一番小さな椅子に座るのが精一杯だ。すると講師らしき女性がすぐに、「あなた、ポスターセッションで居たわね。覚えているわよ。また会えたわね」と、ウエルカムしてくれる。臨死体験についてのポスターセッションを一緒に並んで見てた人だ。肌が浅黒く、心地よく太っている。声をかけてもらってありがたい。遅れて飛び込んできた東洋の土鳩に、この人は、嫌な顔一つしていない。というか、ほんの二、三言のやりとりの中で、私たちの間に「気」の行き来のようなものがあって、私はこの人のなんとも言えず柔らかい気に包み込まれたのだった。すごい人なのではなかろうか。この人がMaria Hess女史だった。世話役の女性は用があったようで出て行き、講話が始まった。






 講話の題は、「Holistic Perspectives in Clinical Practice and Teaching」。Mariaさんはセラピストでもあり、大学で臨床心理学その他の学生を教える教師でもあるが、教師としての役割の時も、セラピーの時と同じように、学生の全人性を感じながら(つまり学生の心、体、魂の指向性を感じながらということだろう)、学生たちの前に立つ。一人一人のことを意識し、愛する(Love,とはっきり言っていた)。教師がそういう意識で居ることの意味がある(そのような教師のことを「Holistic Educator」と呼ぶ)。そうしていると、学生は、学ぶと同時に、まるで心理療法で感じるような気づきや癒し、成長を体験する(このことは、Mariaさんの共同研究者がMariaさんの教え子にアンケート調査を行い、貴重な発言が集まったというが、学会内では生データが紹介されなかった)。
 このようにHolistic Educatorは学生たちの学びやスピリチュアリティー(精神性、魂)を癒し、促進することができる。一方で心理療法の場には、(あまりそんなふうには言われてはいないがセラピストなら誰でも実感していることとして)、クライエントにとっての教育的側面・学びの側面がある。よってセラピストとエデュケーターの立場は矛盾せず、ほぼ、同じようなものである。
 と、Mariaさんが言うと参加者たちはうなづいて自分たちの経験を述べたりする(私には残念ながら全く聞き取れない。英語っていうものは、自分に向けて語りかけられるとなんとなく分かるものだが、他の人同士が話しているのを聞き取るのは難しい。ちなみにこの会場でMariaさんは参加者を均等に見ながら話してくれるが、参加者たちは、一言も発しない私のことは居ないも同然と見て、誰も私とは一度も視線を合わせなかった)。
 ある参加者が「教師とセラピストとしての自分が矛盾しないとのことですが、セラピストとして個人的なことを聞かれたら話しますか」と質問する(注:セラピストの養成課程ではしばしば、セラピストは中立性を保つために、個人的なことをクライエントに言わないほうがいい、と教育される)。Mariaさんは、「自分は小さい街に住んでそこで臨床をしているから、私が大学で教えているといった私の個人的なことを、クライエントも知った状態でセラピーを受けに来ます。しかしそれでなんら差し障りはありません。また、セラピーの中では、もしそれがクライエントのスピリチュアリティーを促進するならば、もっと個人的な、今ここで私が深く感じていることを表現します」と言い、その時Mariaさんは、クライエントと深い話をする時のように、急に精妙な声のトーンになる。
 別の人から、「スピリチュアリティーをどうとらえますか」と質問が出る。スピリチュアリティーは近年のアメリカでいたく関心をもたれているテーマだ。Mariaさんは「それをどうとらえるかは人によってとても表現が異なりますよね。私は、スピリチュアリティーとは、何か自分以外のものについての本質を感じ、それからエネルギーを得る感じがする体験です。それは、自分の周りにある自然にも感じますし、他の人間に感じることもあるし、ある人は数学にも感じるものです」。日本ではスピリチュアリティーという言葉が「霊性」と訳されていて、わけわからない神秘的なものという印象になっているが、Mariaさんの言葉を通すとなんとなく理解できる。例えば「ああ、これが数学ってものなんだ」と、数学を好に思って、気持ちが集中して、本質を垣間見た気になって、元気が出るような瞬間のことなのだろう。だとしたら自分以外のさまざまなものに感動してその本来の性質を垣間見たような体験が、すべてスピリチュアリティーに含まれることになる。私が日本で想像していたよりもずっと広い概念だ。
 参加者がまた、「どのようにしてHolisticな学びというのを実現するのですか」と質問すると、Mariaさんは、「例えば私は病理診断の(ような堅苦しいテーマの、Holisticとか癒しとはかけ離れているような)授業も担当しています。そこでもHolistic なEducationを行います。DSMの診断を教えますが、学生をグループにして実際に仮想事例を診断させるのです。そして『どんどん間違えなさい、間違えることに意味があるのです。診断と診断の間で迷うでしょう?、そこに意味があるのです。』と、学生に言い、どんどん実習させます。」と、体験学習型の授業の様子を語っていた。

 聴きながら私は思った。Mariaさんが言っているような、「教育の中に癒しが含まれる。そのような教師であろう」ということは、力のある教師ならどこの国でも共通して意識していることかもしれない。体験学習型の授業についても、日本の熱心な教員ならば小学校でも大学でも行っている。 そういう意味で論の新しさは無いけれど、Mariaさんの目の感じを目の当たりにできたことが最高の体験だ。Holistic Educator。Mariaさんがクラスでどういう雰囲気で学生たちの前に居るのか、学生がMariaさんをどう感じるか。そのものを感じさせてもらった気がする。私ももっとこういう態度を意識したい。
 私は、「心を動かされました。ありがとうございます」と握手して、Mariaさんの部屋をあとにした。部屋にはすでに、ロロ・メイ関係の会場から戻ってきたDivision32の人たちが楽しそうにお菓子をほおばり、大声で話し始めていた。






 さて私の本来の目的は18:00からのDivision48のHospitality Suiteだったのだが、迷った末に、Division48には行かなかった。Division32の体験が十分濃かったし、それに自分の名札をどうしたらいいか分からなかったからである。私の名札には今や、「Chill out at 32」と大きくかかれたショッキングピンクのリボンが垂れ下がり、ピンクのカトレアが私の名前を覆わんばかりに張り付いている。Dividion32の人たちは、私がこれをつけて歩き周り、Division32に出たということを宣伝してほしいんだろうか(後述するが、Division32のヒューマニスティック心理学は、所属者が減り気味で巻き返しを測っているチームだ)。しかし、私のような「一元さん」が、セッション後まで仲間ぶってリボンをつけていることは恥ずかしいことなんだろうか。だいたいChill outってなんだろうか。「私はDivision32の人間です」って意味だろうか。だとしたらこれをつけDivision48に行くのは失礼なのではなかろうか。
 なんて考えたらDivision48には行けなかった。
 あと平井氏に聞くと、「アメリカ人はよく、変なものを名札につけてウロウロして喜んでるから、つけたままでいいと思いますよ」と笑っていた。ちゃんとした辞書で引くと、Chill outは「たむろする、溜まり場に居る」という俗語だった。「私はDivision32でたむろってました」ぐらいの意味だったらしい。それなら、リボンつけたままでDivision48に行っても差し支えなかったかもしれない。













↑あっという間にこの状態に‥。
ちなみに、名札というのは、紛失するとポスター会場に入れず、再発行に2ドルとられます。‥なんて、しなくていいことまで経験済みの私。




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