論文の樹白井祐浩(2005)


 論文の構造は樹に似ている。樹には根があり、幹があり、そこから枝葉が伸びて、実(種)をつける。
 論文の構造で言えば、「目的」は根にあたるだろう。「方法」は幹である。「結果」が枝葉であり、考察が実(種)といえる。
 「目的」は論文の根にあたるものである。「目的」がしっかり定まっていないと、根無し草のように論文はあっちへ行ったりこっちへ行ったり、ふらふらと中心が定まらない。「目的」は論文の根幹の部分であり、「目的」が貧弱であると、その論文自体も貧弱な論文になり、「目的」が執筆者自身も曖昧であるならば、その論文は論文として成り立たない。論文を書くにあたっては、まず、「目的」の部分をしっかり一本心の通ったものにし、論文の土台としてしっかりした根を生やさせなければならない。しっかりした「目的」を定めるためには、過去の先行研究をきちんと押さえておかなければならない。先行研究は種であり、養分である。先行研究という種から芽を出し、その養分を吸収して、しっかりとした「目的」という名の根が張られていくのである。
 根の次には幹がある。論文の構造で幹にあたるものは「方法」である。根が貧弱であれば、丈夫な幹は育たない。同じように、「目的」がしっかりしていなければ、いくら頑張った所で適切な「方法」を選択することはできない。逆に、しっかりとした「目的」が設定されていれば、「方法」という幹も自然と定まってくるという面もある。ただし、しっかりした「目的」が設定されても、誤った方法を選択するという場合もあるが。幹を太くするためには、なるべく多くの「方法」を知っており、尚且つ、適切な「方法」が選択できなければならない。使える「方法」が少ないということは幹が貧弱ということである。貧弱な幹からは貧弱な枝葉しか伸びず、当然ながら貧弱な実しかつけることはない。逆にしっかりとした「方法」が定まれば、自ずからしっかりとした「結果」が出てくるものである。また、誤った「方法」を使ってしまうと、折角しっかりした「目的」を定めたとしても、それが無駄になってしまう。それは早く育てようと水や肥料をやりすぎて、逆に樹を枯らしてしまうようなものであり、適切な育て方をしなければ「論文」という樹は枯れてしまうのである。
 論文の構造で次に来るのは「結果」である。「結果」は「方法」に付随してくるものであり、論文にとっては必要ではあるが、あくまで枝葉としての意味しか持たない。枝葉が無ければ実のつきようは無いが、枝葉がしっかりしているからといって、必ずしもおいしい実がつくとは限らない。おいしい実をつけるには、「結果」という枝葉をきちんと剪定し、重要な部分を抽出していく必要がある。そうでなければ、図体だけは馬鹿でかいが味の無い実しかつかないのである。
 最後に来るのが「考察」という名の実である。これは論文全体の収穫でもあり、また、次の世代へ繋がっていく種でもある。折角、根、幹、枝葉はしっかりしているのに、最後の収穫である実を腐らせている論文も多く見られる。これまで頑張って着々と育ててきたものを、ここで一気に無駄にしてしまっているのである。論文の「考察」は創造性という実である。この実は次の研究を生み出す種でもある。この種から新しい研究の芽が生えてくるのである。折角おいしい実ができているのに、それに目を向けずみすみす腐らせていくことは、研究をする上で非常にもったいないことである。
 このように、論文の構造は樹に喩えられる。樹に成長の流れがあるように、論文にも構造の流れがある。その流れに従って論文は育てられていくべきである。だが、一般には根や幹や実を放っておいて、枝葉だけをしっかりしようとする論文が多く見られる。根も貧弱、幹も貧弱なのに、どうして枝葉だけが立派に育てることができるだろうか。根も幹も無いのに枝葉を茂らせようとしても、土台無理な話である。挙句の果てに貧弱ながらもできている実を腐らせ、次世代に何も残さぬまま朽ち果てていく「樹」のいかに多いことであろう。論文の土台はまず根と幹。そして、折角実った実を腐らせないように、きちんと収穫してこそ、多くの種を残す、立派な大木と言えるであろう。


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