香椎宮の歴史

香椎宮は古来香椎廟と称せられ、人皇十四代仲哀天皇はこの地に皇居を営まれた(古宮)。 これを筑紫の橿日宮といい、香椎の地名のおこりにもなっています。

熊襲の平定に来られたものだが、不幸なことに志しなかばにして仲哀天皇は崩御されました。その御胸中を偲び、見事に継いだのが、神功皇后。御島で男装に紛して、九州はもとより三韓など海外へも国威を知らしめました。海外からの朝貢はその後絶えることなく、同時に文明も陸続として導入されました。山陵でもなく、神宮でもない橿日独特の廟という名称で祭祀が続けられてきました。これは御歴代中ただ橿日宮の天皇皇后にのみ捧げられた特別の御待遇であると伝えられています。

代々の天皇陛下とのゆかりも深く、明治前までは毎年不老水を京都御所まで届けたり、逆に十年に一度は天皇陛下からの直々にご先祖様への貢物が届けられる(勅使が来られる)という伝統行事も。

本殿は香椎造りといい有名でもある。どうぞこの機にじっくりご参拝下さい。